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ファフニールで焼いたケーキは存在するか
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ロード・エルメロイⅡ世(事件簿)
2017/09/21(木) 20:33
自己価値は他に影響されない価値観で有り続けられるか。
そもそも価値を見出す、とはどういう事か。これは事象を評価する存在が居て成り立つものだ。さて、誰も知らぬ絵画は名画と呼べるか。
1、誰も評価出来ないのだからそも優劣が発生しない。何物にも劣らないし、優れない。また凡庸でもない。故に名画と称しても問題ない。
2、誰も知らない、つまり存在を認知されない。優劣よりも存在を周知されなければ絵画の定義を逸しており、対象に上るべきではない。故に名画ではない。
以上は第三者から評価される点での絵画の価値だ。では仮に「絵画自身」が価値を定めるとしたら。……答えを言ってしまえばこれは不可能に近い。比較される物がない価値の決定は行えない。例えば、自分は一人のみの存在だから尊いと価値を高めるとする、がこの答え自体矛盾しているんだ。自己を唯一と認知する事自体が他者との絶対的な比較であるからだ。
然し「自身は存在している」のみを価値にするならば比較無しに許される。存在しているから価値がある。同時に存在している以上は無価値は有り得ないと言う逆説も論じられる。…話を戻そう、他に左右されない自己価値の確立。許されるのは自分自身の存在のみだ。それを矮小と思うか、希少と捉えるかは個人の思想によるだろう。大抵はそれだけでは足りないものだ。何しろ自己以外の「存在」は自己より多く、当然と目の前に有り続けるのだから。故に比較する、誰も知らぬ絵画にならないように、と。
根源的な善悪を語るつもりはない。ただ、君が存在している価値は誰にも侵せない、もっと多く……口にして良いものだ。
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