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氷上の痴話喧嘩。
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ヴィクトル・ニキフォロフ(YonICE)
2016/11/19(土) 14:38
>『Фаворит-1-』
今も記憶に焼きついて離れない名演技。
# Sal_t La_ke 2002 Ol_ympic FS 「Ir_on Ma_sk」
ゴールドメダリストにふさわしい、まさに伝説のスケーティングだったよ。
母国だからとか、そんな贔屓目なしにしても、その当時TVで鑑賞していた俺は惹きつけられて目が離せなかったのを覚えてる。
子供ながらに、寒くもない鳥肌がぞくぞくと止まらなくてね。
彼のスケーティング、その背後に題材となった映画のストーリーが見えるようだった。
彼にしか出来ないステップ。今も忘れられない。
今でこそ、フィギュアはどこの国が強いとか余りなくなったけど。
その当時は男子フィギュアといえばやっぱりロシアだったんだ。
王者の彼と、彼の最大のライバルである若い貴公子。同じ国同士でのメダル争い。
実際どちらが一番いい色のメダルをとってもおかしくなかったよ。
でも、彼のライバルがSPで失敗して、その時点で大きな点差が生まれてしまった。
彼は安全な構成で無難に演技を終えるだけで、それこそ金メダルに手が届くところにいたんだ。
けれど、彼はそれを選ばず、その当時最高難度のプログラムでFSに挑んできた。
そして、見事に完璧の演技をしてみせたんだ。
恐らく彼個人だけの力じゃない。
音楽、振り付け、衣装、演技構成…周りのサポートがあってこそ出来上がったプログラム。
怪我に苦しんだ時期もあった筈。
でも、最高の舞台に向けて、身体を一番いい状態に持ってこさせたこと。
そして勿論、彼個人の表現力、技術力、身体能力。背景には見えない努力があっただろうね。
フィギュアの採点方法はその当時6.0システム。
詳しい説明は省くけど、今の採点法よりも判りやすかったかもしれない。
要は審判員一人の持点が6.0で、最高点が6.0。
彼の演技は4人の審判員が芸術点で6.0を出した。
その時、その瞬間、生まれた最高傑作。
今なら判る。彼が何故挑んできたか。
王者が王者である証。それが必要だったんだ。
圧倒的な差を見せ付けて一番高いところへ上る。
自分の為だけじゃない、数多くいるライバル、そして次に続く世代の為にも。
今、フィギュア界は新たな転換期にきてる。
さあ、次はどんな傑作が生まれるんだろう。
『お気に入り-1-』
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