この一枚の手記を書く事はかなり躊躇ったけれどあの人が望むなら、とペンを持つ事にした。
どうせ埋めるなら想いが重くなるオレにしよう。

オレは、その一言、ただぽつりと名前だけが書かれた文を見ただけで馬鹿みたいに喜べる。

そうやって簡単に喜べてしまうオレは本当に単純だ。
好き、愛してる、その言葉とはまた違う。
あの人がオレを呼んでくれる、それはあの人の隣にオレを必要としてくれてる風に思えて、…嗚呼、オレは少し自惚れ過ぎてるかもしれねぇ。

あの人は言う、何もしないままでオレを繋ぎ止めておける都合の良い未来は無いと、だから好きな事や嬉しい事を教えろと。
…何でこの人はこうなんだろう、そう言われた時オレがどんだけ嬉しかったか。

だって正にそいつは、オレがいつも考えている事で。文を書く言葉の一つ一つはその想いでいっぱいだ。

あの人はオレに返してくれるんだ。

いつか、好きな人には尽くすタイプなんですとオレが言うとあの人は、大きな見返りはやれないなんて言った。
貴方は大嘘吐きですよね、……ここまできっちり返してくれた人をオレは貴方しか知りません。

エレンは呼んでくる、私の名前を繰り返し繰り返し、優しく、甘く、呼んでくる。
なんて卑怯なんだろう、私は沈みたくない、のに。
貴方に名前を呼ばれるだけで足元はから、ゆっくりと沈んでいく。
問題はそれが嫌では無い事にある、それは酷く心地好く、ずっと浸っていたくなる。
そのまま、髪の先迄浸り、それが唇から入り込み、肺を侵しても、私は幸せなのだろう。

…そういえば、エレンが明日何の日かわかるかと聞いて来た。
貴方も覚えていたのだと、心が震える。

エレン、…私が分からないと本気で思っている訳では無いでしょう？

記念日の日付けに記念を重ねて、今日は兵長とオレの出会いについて語るか。
オレは、兵長に惹かれて出会った訳だけどオレと兵長の関係は上司と部下では無く間違い無く犬と飼い主だった。

それはもう見事な主従関係だった、とオレは勝手に思っている。

オレが鳴けば、兵長が透かさず撫でる、尻尾を振る、みてぇな。そんな兵長にオレが先ず躾られた事は、「俺に触るなら湯浴みしてこい」だ。


その日から、兵長と添い寝する為に帰城すればせっせと湯浴みする事になった。そして、そんなオレへの躾は今も続いてたりする。
あの時、オレが思ったのは良い飼い主に出会えた、それだけなんだ。

あの頃の兵長は、それはもう理想的な飼い主だった。今欲しい物は何ですか？と聞くと「オレと遊ぶ玩具が欲しい」だそうで、兵長の幸せについて考えましょうか？と聞くと、「犬が居て生活に困るモンも無いから要らない」ときた。

どれだけ欲が無いんですか、あんたは！と心の中で叫んでいたのは懐かしい。
傍に居るのは犬だけで、大切な人や自分を必要としてくれる、そんな誰かが居て欲しく無いんですか？と続けて聞きたかったけれど、既にその頃にオレはあの人に飼い主以上の感情を抱いていた訳で、…頷かれるのが怖くて結局聞けなかった。
恋人が出来たら、首輪を外す。それがオレとあの人の約束だったから。

兵長は、相変わらず良い飼い主であるけれど完璧な飼い主では無くなった。何故ならオレに、失礼ながら馬鹿がつく程に甘ぇ。

今の兵長なら、オレが立ち上がっただけで褒めてくれそうだ、…あ、嘘付いた、それはねぇな。

そして、完璧で無くなった事、それがオレには物凄く嬉しい。オレを犬以上に、恋人としてみてくれてるって分かるから。…特別扱い、されてる。そうやって自惚れている。

実は、恋人になれて最初の頃は、兵長の甘さに心臓が壊れるかという程苦しんだけれど。
……察してくれ。
今迄、好きです！と訴えても、「知ってる」みたいなあの人が突如、好きです！と言うと「愛してる」で返してくれる様になる訳で、……何度、心臓停止で死ぬかと思ったか。

それも今はかなり耐性が出来て、逆に兵長の心臓を止めてやろうとしているが、効果は無いに等しい。
逆に兵長の不意打ちにやられて、心臓を虐められている。

昔と今は違う。だから、次に書く未来でも貴方がオレの傍に居る様に、次の月も俺を貴方の傍に居させて下さい。

雨だ、雨が降っている。
ので、今日の天気は雨らしい。

理解力の無い見当違いな考え、…卑下するつもりは無いけれど、
真実、救い様が無い程に私は愚かなのだろう。

選択は、いつでも失敗ばかりだ。
より良い選択ばかりを求めてしまう。
…それが、正しいと誰が言ったのか。

独り善がりの妄想は、止めないと。

雨は止まない。傘は、欲しく無い。

今日から暫く、あの人の帰りは遅くなる、らしい。まあ、新兵のオレなんかより忙しいのが当たり前のあの人だ。

偶には余裕を見せるのも大切じゃないか、そう悟ったオレは、多忙で話す時間が少なくなる事実を聞き分け良く頷いてみた。

……、正直、失敗した。文を出して良いか、とか、何か言えば良かった、オレの馬鹿野郎。
どうにもやる気が無くなる。寂しいとかそういう気分を通り越して、あの人と会えないと分かると色んな意欲がごっそりと抜けちまう。

>恋慕

嗚呼、声が聞きてぇな。あの人に名前を呼ばれたい。他の誰かじゃなくて、あの人に呼んで欲しい。

オレが素面では照れて言えない事を、何でも無いように甘い甘い言葉を吐いて、
臆病者のオレが調子に乗る位に特別扱いをしてくれて、

オレの、凄ぇ、好きな人。

あ、駄目だ。手記に書くだけで照れて死にそうだ、畜生……少し地下室に帰ろう。