乾ききった泉の底を浚って、ほんの少し滲んだ水を両手で必死になって掬っているような──…そんな感覚で、これまで言葉を絞り出してきました。
何故そんな無理をしていたのかわかりますか?それは、ボクを満たす言葉と出会うには、ボク自身が言葉を発しなければいけないと知っていたからです。
今ボクは、この渇きに慣れて、全てがただの作業と化すことを酷く恐れている。
続けるために話しているんじゃない、話すために続けているんです。
こんなに明白なことだと言うのに、気付けば目的と手段が入れ替わっているのはどうしてでしょう。