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2746.Oscuridad
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14 :
ウルキオラ・シファー
2010/09/12(日)19:49:34
恐怖は二つに大別出来る。
一つは本能から生じるもの。
もう一つは、制御可能な不要なる恐怖だ。
建設途中の建物の高層で鉄骨の上を渡らねばならん状況ならば、ヒトは誰でも恐怖する。
落下する危険が実際に在るからだ。
其れは防衛本能から生じる、当然の反応だ。
だが、四方や足元を強固な硝子で囲まれ安定している構造であったとしても、幾重もの安全策を講じて完成した建造物の内側に居る場合でも、自らが高所に居るというだけで大概の連中は恐怖する。
実際に落下する危険など皆無に等しいと言うのにだ。
恐怖の殆どは後者だ。
其の恐怖は何処から生じているのか、其れは真に怖れるべきものなのか。
冷静な判断さえ出来れば、制御するのは容易い。
剣を振るうのは二つの恐怖の鬩ぎ合いであり、剃刀の様に薄く危うい其の境界線上で安定を保つ行為だと俺は考える。
一振りで容易く命奪う器物を恐怖するのは本能だ。
だが、制御可能な不要な恐怖も此処では必要となる。
喩えば鍛練の為の広間で剣を振る時に、恐怖が無ければ如何なるか。
間合いの目測一つ誤れば、傍らで同じ様に武器を振るう同胞の四肢を斬り飛ばす危険も充分に有り得る。
手許が僅かに狂うだけでも、己が器物で我が身を裂く。
可能性はゼロでは無い。
恐怖しないという事は、其れが想像出来んという事だ。
己の間合いや力量、其の威力や殺傷力を把握していなければ、制御する事など出来はしない。
其れは本来不要な恐怖さえ網羅した上で、其の恐怖を完全に制御する事と同義だ。
恐怖しなければならず、
同時に恐怖してはならない。
俺はそう考える。
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