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┗1273.獣 箱(保存)(205-214/233)

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214 :緑_仙(2_4_3_4)
2022/06/27(月) 02:15

死因:夏。
暑さによるやる気の低下で日記も書けてなければ人間とも話せてないしなんなら原神もガチャ禁のストレスと相まって全然出来てない。プロセカも二週間くらい開いてない。クレアに強制同時視聴させられて今期のプリキュアとカムバした推しの最新MVは見た。向こうの日記でも良かったんだけど知人各位への周知としてここにしておく。僕の近況は下に少しずつ連ねるはずだけど、夏の間は僕からの連絡は鈍いと思って欲しい。なんかあったらオイ!!!って呼んでくれれば出てくる可能性が微レ存。暑いのマジで無理なんだよね。この文章すらいつもはやらないノー下書きだし、天宮への返事を止めてる時はなるべく日記を更新しないという禁も破った。明日には多分生きてるって言うから待ってて。八ヶ月の日記も向こうに書いてないし、この間の喧嘩未満の僕のお気持ち表明事件の話も書いてない。全てが滞ってんだ……ころしてくれ……。ちなみに今日は数年前の事件を思い出してなんか信仰心が芽生えたから明日早起き出来れば神社まで散歩しに行きたい。早起きできなかったらしない、暑いし。
夏場は本当に精神がメチャメチャになるから僕のことは全力で甘やかして欲しい。僕が黙ってんなと思っても元気か!?生きててえらいね!って褒めて欲しい。やっぱいらない。でも声はかけてほしい。僕がこんなこと宣ってる時点でヤバさを感じて欲しい。僕は熱中症にならん事で精一杯です。かしこ。


他人の闇に触れると己の闇に気付くこともある。深淵を覗以下略。でも今日は神社に行ったあとからプラシーボかもしんないけどメンタルバリ強だから光属性になってるし無問題。どうでもいいけど近所の神社のお手水が人感センサー搭載式ドラゴンゲロホースだったからなんとも言えない気分になった。風情もなんもあったもんじゃねえ!胃カメラか拷問か?みたいなお手水嫌じゃん……しかも人感センサー式で水が出るのわかんなくて気付いたの帰りだったからね。風情を奪ったコロナを僕は許さない卍


ところで昨日この記事を書いたあとすぐに日記を教えてないはずの知人から「生きてるか?」って連絡が来てチビるとこだった。え?バレてる?バレてるとしたら僕がこんな闇鍋汁を煮詰めたみたいな混沌極まりない日記の持ち主なのバレてるのヤバない?単純に連絡アホほど未読無視してたから生存確認されただけだろうけど。


最近、……最近でもないな、ここ数日人間とほぼ話してないから。少し前か。少し前に僕に対して優しいとか救ってくれてありがとうみたいなこと言う奴がいたんだよね。おめめ腐ってるか?って優しいねという言葉に親を殺されたような優しさアンチの僕は思わずメンチ切ったんだけど、僕が優しいって言葉嫌いなんすわ!って言ったらじゃあ他の言葉に直したいとか言いつつもなんだかんだ僕に優しいねって言ってくる。なんだァ?テメェ……っていつもならなるんだけど。でもそいつにとっての優しいと僕にとっての優しいが別であることを理解した上でその言葉を使ったから気にせんことにした。
優しさの定義を確立した上でその定義に則った行動や言動を僕がしているとか当てはまるって言うなら理解はする、腹は立つけど。腹立つのは僕の中での優しいの定義に僕が当てはまる行動をしてないから。ただそれだけ。
僕の中の優しい人って他人のために動ける人だと思うんだよ。偽善とかじゃなくマジで。でも僕は僕の楽しいことと気持ちいいことしかしたくないしするつもりもない。それが人のためになることだとしても、僕は僕がやりたいことしかしないから僕のためでしかない。その結果他人が救われようと知ったことじゃない。だから僕は優しくないし、性格悪いとかクソ野郎とか言われた方がお前僕のことわかってんじゃん……ってニッコリする。ドMじゃないよ。


頭ハッピーセットだから神社の帰りにめちゃくちゃ気持ちいい風が吹いた時に神様が頭撫でてくれたんかな……ヘヘッ……て思ってにっこりした。都合のいい時はいる気がしてる。

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213 :椎名唯華(乱入)
2022/06/21(火) 16:31

おはしいな~~、拗らせ陰キャ担当でーす……やかましいわ。緑仙にお題貰ったから落書きしに来たで~……ってそう、丁度本人が↓で言っとるやん。お題は『生きるとか生命とか』について。

これですね~~~~毎秒眠い寝たい遊びたいの椎名さんからするとこれ自身の意味ってググった時とか広辞苑に乗ってるやつとかそのまんま返すしかないんすよねえ。確かにあたしって生きてるけど、生きるってこと自体は今窓の外を飛んでった鳥もしてるし、見えない単細胞生物だって生物である以上生きてるんよ。やからあたしにとって生きるって「なんか生まれちゃったからしゃーなし」ってノリやな。どんなに怠くてもめんどくても、じゃあやめよってならへんし。やめるのが怖いだけの生きたがりっすね。

え?それだけじゃつまらん?えぇ~~~~……嫌やぁ~~眠いて~~~~…………。……いや本気で嫌やったらそもそも態々こんなこと書きに来ないんで勘違いしないでください。そうやな~、じゃあなんでこんな議論するかってーと、やっぱ人間がクソでかい脳味噌抱えて独自に無限のパターン生み出しとるからやん。そんな複雑なことしてるから「子孫を残す」<「感情」とか「生命活動の維持」<「精神的苦痛」が発生するんよ。野生の動物がフィジカルサバイバルなら人間ってのはメンタルサバイバルってこと。こと人間が生きようとするときは本能的に精神かばおうとしてんやろな。

あかん落としどころ見失ったわ。敗因は結論を決めて書き出すことをサボったからです。まあ、落書きでもええって言ったの此処の主やし謝らないよ。広げた風呂敷畳まないで帰るんでアイロンでもかけて箪笥にでもしまっといてくださーい。そんじゃ、お疲れ三下~~~~。

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212 :緑_仙(2_4_3_4)
2022/06/18(土) 14:55

僕にとっての生きるとは何かについて深堀りする。


数日前に書きかけてたのがせっかくメモ帳に下書きしてたのに消し飛んだからめちゃくちゃ萎えた。もうメモ書きを多少弄っただけの奴で妥協することにする。

僕にとって生きるということは知ることだと思う。かつては息をすることだとか、己の心臓の在処をどこと考えるかみたいなことも思ったものだけど。でも今思うのはそのどれもが含まれているのが知ることなんじゃないかなって。
自分の思いの先を知ること、他人の在り方を知ること、世界の構造を知ること、言葉を知ること。色んな『知る』が世界には溢れてる。
知るのって怖いよね。知りたくないことを知ってしまうことだって時にはある。知れば知るほど知らない時には戻れなくなる。情報という前提が増えるほど考えることは多くなるし、考えなきゃいけないことも多くなる。そしてそれと同時に人は諦めることを覚えていく。でもそれは悲しいようでいて、僕にとっては喜ばしく有意義なものなんじゃないかと感じたりしてる。
僕は自分を知るのが好き。今まで気付かなかったほんの些細なことに自分の力で辿り着くのが好きだ。だって自分を知れば世界にはそんな真実もあるんだと思うから。一人だとしてもそんな事実を抱えて生きる誰かがそこに存在しているなら、他の誰かにも応用が利く。自分を知ることは他人を知ることで、他人を知ることは自分を知ることになる。その結果諦めが生まれるのだとしても、その諦めの先に何も無い訳では無いことの方が圧倒的に多い。そうして知ることを積み重ねることそれそのものが僕は好きだから、僕はそれに価値を見出している。
僕の生命は知ることであり、知らなかった世界を少しずつ捨てて行くことなのかもしれない。人は生きるために命を頂いているとよく言うけど、知らなかった自分という命の欠片を頂いて積み重ねることもそのうちに入るのかな。ちょっと夢物語みたいだけど、僕の生命はそうであればいいなと思う。

本当はこれゴジラさんこと葛葉くんに「シェンさんにとっての生きるってなんすか?」って突然聞かれた時に答えた奴なんだけど、なるべく短く纏めようとした結果がこれ。もっと深堀りしてえ〜!ってここから注釈付けたようなやつは死んだ。そんで数日経って椎名のが先に書いてるっていうね。気が向いたら似たようなこと書いてちゃんと深掘りするかも。

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211 :夕_陽_リ_リ(2_4_3_4)
2022/06/17(金) 13:00

現在のわたしはなんとなく、それは相手にとってその肩書き以外の自分は必要無いと言われているような気がするということが寂しさの原因なのかな、と思いました。つまりは寂しさというものの根源は相手にとって自分が不必要、もしくはいなくても構わない相手だという事実に気付いてしまうことなんじゃないかなと思ったわけです。
誰かにとって未来人が必要だったとしましょう。でもそれは別に夕陽リリという個体でなくとも成立する。そんな状況こそが寂しいというものの本質のひとつなんじゃないかな、と。そしてそれがよく見受けられるのが自分にとって大切な相手、例えば恋人だとか。そういう相手に向けることが多いのでは無いかなと思います。自分じゃなきゃダメであって欲しいと望むから。そしてこれがあるからこそわたしがあまり寂しさを感じなくなった原因なのではないかなとも思うわけです。だって何より夕陽リリを必要としているのは他でもないわたし自身だと気付いたわけですから。わたしはわたしが必要で、それは他の誰にも代役が務まらない。家長も多分そうでしょう、未来人ならだれでもいいのではなくわたしを必要としている。知人各位もそうだと信じています。
なら寂しいだなんて思う必要はどこにもないじゃないですか。離れていても、今は話していなくとも。誰かにとってわたしでなくてはならない何かがそこにあるなら、わたしという一個人は不必要なんかじゃないわけです。だから寂しいだなんて思わない。わたしにしかできないことがありますから。
反して寂しいと感じる人というのは、きっと誰に対しても自分にしかできないことなんかないと感じているんじゃないでしょうか。自己肯定感が低いとも言えますね。自分じゃなきゃダメだと言って欲しい、そうであると教えて欲しい。得てしてこういう人というのが依存だとかに陥りやすいんじゃないかな。アレですね、メンヘラ的な人に過剰な寂しがりが多いのはこういうことなのかもしれん。
わたしが好意をいずれ毒になりかねない生物だと考えるのは自分が生きていて後悔するのが嫌だと考えるからです。ある人にとって寂しさを害だと考えるのは自分の存在価値を自分で見い出せないからかもしれませんね。きっとわたしにとっての好意、誰かにとっての孤独感に相当するものがそれぞれにあるんだろうな。自分にとって害や悪、毒だと考えるものはありますか?きっと目を逸らしがちなことでしょう。それでもそれらに目を向けて、それが一体なんなのかを考えてみると意外な答えが得られて前に進めるかもしれませんよ。余計ぐちゃぐちゃになってもわたしは責任を負いませんけどね。

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210 :夕_陽_リ_リ(2_4_3_4)
2022/06/17(金) 13:00

先日面白い話を聞きました。わたしは自分にとって好きという感情は生物だと思ってるんですよ。それ単体である分には特になんということはなく、そこにあるだけです。でも溜め込んでいるといずれ腐って毒になり、自分の体を侵していく。そういうものだと考えています。人であれ物であれ、自分の好きなものには言えるうちに好きだと伝えなければいつか本当に喉に詰まって言えなくなって、言う機会すらもなくなる。後に残るのは苦々しい後悔ばかり。だから好きなものには思った時に目一杯好きだと伝えるようにしています。
そんな話を何気なくした時に、とある人は言いました。自分にその考えを落とし込むのはまだ難しいけれど理解はできる。そして自分は代わりに知っていることがある。寂しいという感情は人にとって害であると。
いやあ、これを聞いた時めちゃくちゃ面白かったですね!いやいや、バカにしてるわけじゃないんですよ。interestingという意味です。なんせわたしは寂しいという感情とはほぼ無縁ですから。誰かを待っている時も最終的にはその人が戻ってくることを知っているというか、信じていますし。ひとりの時間も苦ではないので。ここを見ていたらわかるでしょう?一人でこうして頭を捻っているのも好きなんです。好きなことをしていたら寂しいと思うことなんてほぼありません。まあ強いて言えばこんなことをしている時にも隣にいてくれる人がいれば嬉しいな、とは思いますけど、それはプラスアルファであって基準のゼロ以下にはなることがない。
でもふと思い出したんです。そんなわたしでも、かつては寂しいという感情に支配されて悩んだ時期があったな、と。
確かにあの頃のことを思い返すと、寂しいと感じている間はあの人は何をしているんだろう、今どんなことをしているんだろう、わたしのことは考えてくれているかな、わたしと一緒にいて欲しいのにな、そんなことばかりを考えていたんですよね。でも今になって思うとそれはあまりにも自分本位な望みで、その対象を愛するが故の悩みだったかと聞かれると少々違和感を覚えます。わたしは愛されたいと願う自分がいることを極端に嫌っていたことがあって、そんな時にも寂しさなんてものを抱えていた訳ですが、めちゃくちゃ矛盾してるなと思うわけです。だって自分のことを見てほしい、自分のことだけを考えて欲しいと望むのは愛されたいことに他ならないでしょう?
確かに寂しいという感情は人にとって害あるものかもしれません。それだけに囚われてしまうならですけど。好きだから寂しいと思う、それに関しては肯定するにも否定するにも難しい結論なんじゃないかなと思います。だって愛していることと愛されたいことは別問題ですから。
孤独ってなんでしょうね。ひとりでいること?ひとりだと思い込むこと?人によって様々な答えがあると思います。寂しさの根源を知るにはまずそこからな気がします。だって孤独だと感じなければ寂しさなんてものはありもしないわけですし。
誰かといるのになんだか寂しい、そんな感覚も世の中にはあるでしょう。わたしも経験がないわけではないです。そんな時のことを思い出すと、それはきっと目の前にいる人すらも自分を見ていないようで、自分から離れていくような幻覚に惑わされている時だった気がするんだよな。でも自分を見ているはずの人が自分を見ていないなんてことは真実として世の中に存在していることも知っています。レッテルや肩書き、そんなものだけでしか人を判断できない人というのはこの世にごまんと存在しているので。
けどこうも思うわけです。例えばわたしを夕陽リリではなく未来人や高校生としてしか見れない人がいるとしましょう。もちろんそれらもわたしを示す言葉の一部ではありますけど、わたしは夕陽リリであってそれ以上でもそれ以下でもないんですよ。それでもそれが伝わらない人というのは存在しています。そんな人を見た時、わたしは寂しいよりも悲しいと思ったり憤りを感じたりする気がするんですよね。でも同じ状況になった時寂しく思う人もいると思うんです。この差は一体なんでしょう。

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209 :緑_仙(2_4_3_4)
2022/06/13(月) 06:35

僕も人間だから抱えられるものはそう多くないことを知ってる。関わる人の全てに優しくしようとしたら自分がすり減ることも知ってるし、全てを救おうとして自分を愛することを忘れたらどうなるのかも知ってる。昔失敗したから。
だからこそというか、自分が抱えられるものってどれくらいまでの大きさなんだろっていうのは常に情報更新を怠らないようにしてるし、自分が本当に抱えたいものってなんだろうっていうのも頭から離れないようにしてる。自分が大事にするべきもの、大事にしたいもの。何を優先させるべきか、咄嗟にも迷わないようにしていたい。じゃなきゃそれ以外の全てを捨てなきゃいけなくなった時に絶対躊躇うからね。自分の小ささを知った上で自分がどうしたいのか、誰を大切にすることが自分を大切にすることに繋がるのか。そういうのを考え続けることを大事にして生きてる。それが僕らしさの一部。
まあここまでは前置きみたいなもんなんだけどさ。ここからが本題。
僕は常々こうして自分の中の宝物をきちんと磨いて整理整頓しておくのが好きなんだよ。それは裏を返せば僕の宝箱に触られたらめちゃくちゃ嫌だって話にもなる。ある意味それはパーソナルスペースみたいなもんで、僕が気を抜いて安心して見てられる場所だから。誰だって自分の部屋荒らされたら普通怒るでしょ、そんな感じ。
なんて言えばいいんだろうなあ。多分縄張り意識みたいなのがめちゃくちゃ強いんだよね。自分のものだって思ったらそこをよく知らんバカに荒らされるのがすげ~嫌。めっちゃ嫌。
僕の大事にしてる宝物が自らの意思でどこかに遊びに行ったり、楽しんでたりするのは全然いいんだよ。だってそれをすることによって宝石はもっとぴかぴかになるし、ぴかぴかになったら僕も嬉しいからね。でも宝石がそこにあるだけなのに勝手に僕の部屋ズカズカ入ってきてこれ綺麗だね!って宝物にベタベタ触られんのは許せない。それに悪気があったとかなかったとかは知ったこっちゃない、褒められてても不快。外見を褒められることと似てるかな、状況的には。
別に何とも思ってないところを褒められて、褒めた人は褒めたのに!善意だよ!って言ったってさあ、言われた側がなんか下心感じてキモいなとか思ったら立派なハラスメントじゃん、それは。自意識過剰だったとしても不快だって思うことは変じゃないよね。
僕は人を大事にすることがあんまり上手だとは思ってないし、大事にできる人数もそんな多くないと思う。みんなに優しくなんかできないし、したくもない。けどだからこそ大事にしたいものっていうのは僕なりにめちゃくちゃ大事にしてるし、僕とそいつの領域には踏み込んできて欲しくないわけ。だからここに僕はテリトリーがありますよ~!ちゃんと見ろよ~!っていうのを事前告知して回るわけよ。そのフェンスからこっち来んなよバカ来たらぶん殴るぞって言ってる。生き物をSATSUGAIするのも簡単じゃねんだ。
でもバカはそんなフェンスと僕の注意する声と標識なんか見やしないし、そもそもフェンスを超えてることにすら気付きもしない。だからそもそも人と関わりたくないってなるんだけどね。そんな事故で僕が被害を被るのがマジで意味わからんから。
それで暫くフェンス設置してる本人もそこにフェンスがあるの忘れるくらい人里から離れてたんだけど、うっかり越えられた瞬間にブッチブチにキレて暴れ回ってるから許せない。このカロリーを別のとこに回したいしそんなバカに怒ってる自分も許せないし殺せない距離にいるバカがのほほんと笑ってるのも許せない。おい!お前こっち来いよ!僕と戦おうぜ!!喧嘩なら買うからよォ!!!
でもそんなことを思ったところでやらないんだけどね。理由はひとつ、フェンスの内側に囲ってる奴が優先だから。ちなみにフェンスの中ってのは僕自身も含んでる。自分と宝物のためにならないことはしないよ、効率も頭も悪い愚策を取るような人間じゃない。直接僕に売られた喧嘩なら幾らでも買うからいつでも連絡してきていいけど、そうじゃないなら僕から喧嘩を売るようなことはしない。だってそれしたら僕まで同じレベルでしょ、やだよそんなの。自分でフェンスの中荒らしたくないもん。
とりあえずクソムカつくっていうのは事実としてここにあるからそれの記録ってだけ。これを発散させる術は考えつくけど、それは愚策だからしない。どうやったら飲み込めるかな、これ。疲れるからあんまり僕を怒らせないでくれ。世界が僕に優しくない。この世はカス。

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208 :緑_仙(2_4_3_4)
2022/06/11(土) 05:54

え゛!?終わるの!?って思ったから珍しく私信なんてものを書いてみようと思う回。

透徹した雨垂れの黛へこれは多分散々言ってきたんだけど、僕まゆゆの日記めちゃくちゃ好きなんだよね。少なからず影響は受けてると思う、主に文字数で。勿論今までずっと読んでるし、ほとんど身内の日記しか本棚に入れないことで定評のある僕が本棚に入れて愛読してる日記のひとつでもある。
多分僕はまゆゆが羨ましいなんて変な嫉妬を覚えてる部分も多少はあるんだろうなって思うんだよ。僕は何気ない穏やかな雑談がへたくそにも程があるからなんだけど。この日記をご覧の通り僕は頭でっかちというか、誰もそんなん気にせんやろ!みたいな重箱の隅を見つけて一人で吠えてるのは得意というか趣味なんだけど、黛みたいな何気ない日常の悲喜こもごもをライトに受け取りやすく話すっていうのは本当に……本当にめちゃくちゃ下手で……。何気ないことを話そうと思うととんでもなくぶつ切りでこんなことがありました、草。で終了なんだよ。コミュ障の標本か?や、それはいいや。手癖で隙自語りをすな。
まあそんなこんなで柔らかい話題から読ます気ないだろこれみたいなものまで多岐に渡ってあの文量を維持して書き続けてるのはマジで凄いと思うし、リスペクトがかなり強いんだよなあ。だからこそ最新記事を読んだ時にえ!?これ最終回!?みたいになって慌ててこんなクソデカ感情を全世界に晒す愚を犯してるんだけどさあ。もし短い日記もやるなら是非教えて欲しいし、今後も雨垂れが続くなら僕は読み続けたいなって思う。黛の日常の気付きの視点がおもろいから。そしてこんなクソデカ感情の拗れを全世界に晒すのは本当になんか、ええんか……?って震えてるからポストも常設してくれたりしないかなっていう要望もこっそり足しとこ。時々僕からのファンレターが届くと思われるよ。
オススメ日記みたいな奴でこんなヘドロの塊みたいなハイカロリー日記、……日記と呼んでいいのか?僕のこれは。いいか。そんな代物を紹介してくれたのも本当に嬉しかったし、実は時々まゆゆの日記からインスピレーションを受けて書いた記事も少しあるんだよね。どれだか忘れたけど。もしや?みたいなのがあったとしたら多分正解だよ、自意識過剰ニキになっておいて。
最後っぽい波動を感じたからこんなギチギチファンレターを書いてるわけだけど、多分最後じゃなくても渡す機会があればファンレターは書いてた気がする。というか前科あるな、その時もクソデカ感情激重ファンレター書いてたわ。面白いもの書いてる人がいるんだから仕方ないよね!!!仕方ないってことにして、僕のキモさには気付かないでもろて。
なんか着地点見失ったしめちゃくちゃファンです!これからも読みたいです!っていうのは書けた気がするからここで強制終了。対あり。終わるならお疲れ様、そして読ませてくれてありがとう。続いてくれるなら喜ぶ人間がここに一人いるよ。ちなみに僕はボールペンになったら足の裏がゴロゴロして爆笑したあとキモすぎてキレると思う。


私信ってムズくない?って思ったんだけど、そもそもの話人とのコミュニケーションが苦手なだけ疑惑出てきたな。やっぱ山に幽閉されてる妖怪は人里に降りちゃいけないんだね。どこぞのサキュバスに封印の紋章を表紙に刻まれてるだけあるわ。私信が飛んでくることも飛ばすことも滅多にないから勝手が分からない情弱老人になるんだあ……。羞恥に負けるか正気になったらこのページは消える。儚いね。


本人の希望によりこの恥は残されることになった。

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207 :アルベド(gnsn)
2022/06/08(水) 04:59

今までにも何度かボクに対する評価として優しいという言葉を使われることはあまり嬉しくはない、という話をしてきたと思う。これは相変わらず変わらない。さっき言ったことを例に挙げるなら、日々を楽しくするためのボクなりのコツというのはボクの為でしかない。それを他人に話したところでボクは別に話した相手の生活も彩られたらいいな、なんてことは考えていないし、それが相手にとってどんな影響を及ぼしたとしてその結果にはさして興味が無い。ボクの知る優しいひとというのはきっと、その人の日々も幸せになればいいなんていうある意味独善的とも取れる配慮からその経験を話すんじゃないかと思うんだ。でも僕は違う。ということは優しいという規定からは外れる、つまりボクは酷いかはさておき少なくとも優しくはないということになるんじゃないかな。
それを聞いた人がそれを実践して、結果的にいい変化が訪れたとしよう。きっとその人はボクに感謝して、アルベドが教えてくれたから日々が少し幸せになったんだ、アルベドは優しい考えをしてるね、なんて言うのかもしれない。まあ言わない人もいるだろうけど、ひとつの仮説として。けどボクは別にその人の日々が幸せになって欲しいなんて望んだわけではないし、ボクの些細な研究結果を復習がてら共有しただけに過ぎないんだ。それを勝手に善意と取られるのはなんだか違和感があるし、……ああ、そうかなるほど。ボクが優しいと言われることに違和感を持つのはここかもしれないね。
ボクはありもしない善意を勝手に受け取られて、虚像の中のボクが自分と乖離していくのが心地好くないのかもしれない。人は関わった人の分だけその人の世界に虚像の自分を生み出すものだけれど、それがあまりにも自分の中にある虚像と掛け離れていると気持ちが悪くないかい?自分と思えない、とでも言えばいいのかな。
ボクには普段あまり善意も悪意も存在していないんだけど、外側から見たボクというのはそこそこに善人に見えることが多いらしい。けれどボクは善人ではないし、糾弾されるほどの悪人であるつもりもない。所謂中庸、普通の一個体だ。あまりにかけ離れた自分への評価を聞くと、アルベドという名が独り歩きしているように感じてしまう。ボクがボクらしいと感じている一個人の在り方を否定されているように感じるのが気分を害するんだろうね。ボクが気に入っている生き方を、善意や感謝からとはいえ否定されるのはあまり気分が良くない。まあそれに悪意がないことも知っているから、特に目くじらを立てることもないんだけど。
とはいえそれが行き過ぎた結果、その表層、……というか、その人から見た一側面のみでボクのことを知っているような顔をされるまで行けば話は変わってくる。ボクの中のボクという存在を悪意はないにしろ否定しておいて、それで自分はアルベドという個体を知っているという気になられるのは少々困る。別に生きる上において実害がある訳では無いけれど、ボクの気分を害するということには充分な理由だ。一人の調査のみで全体アンケートを取りましたなんていう愚かなレポートを読んだような気になるからね。1は1でしかなく、100になんてなるはずがない。
ボクが毎日を楽しく過ごそうとする術を身につけているのは紛れもなくボクだけの為だよ。ボクのための知恵だ。それを他人がどう応用するかにはあまり興味が無いし、それをボクに感謝されてもそうか以外の感想は出てこない。こうして綴っているのもいずれ時が経った時にボクが見返すことで更にいい案がないか考えるための切っ掛けに過ぎない。けれどまあ、他人の心ほど手に負えないものもこの世にはないんだと思う。ボクが何をどれだけ考えていようと、それを別の受け取り方をする人は少なからずいるし、それを善意だと信じて差し出してくる人もいる。……余計なお世話、という言葉の意味を辞書で引くことをおすすめしたくはなるけどね。

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206 :アルベド(gnsn)
2022/06/05(日) 22:29

面白き、ことも無き世を面白く、……なんて言葉が稲妻にはあるらしいね。そのまま受け取るならば面白いことが無ければ自分で面白くすればいい、ということになるけど。うん、ボクもこの考えには賛同できる部分が多い。日々が同じことの繰り返しでつまらないと嘆いている人はよく見かけるけれど、ボクは同じことを繰り返すから生きることに飽きてしまうんじゃないかと思うんだ。だったら答えは簡単、同じことをしなければいい。大まかなルーティンは変えられずとも、例えば夜寝る前に飲むお茶を毎日違うものにしてみるだとか、そんな些細なものでいいんだ。違うということが大切なんだよ。同じことを繰り返しているという意識を変えること、同じであることではなく違うことに目を向けるというのが重要なんだ。
これは実験も同じだ。同じ溶液にそれぞれ少しずつ異なる種類の花から抽出したオイルを混ぜたとしよう。それらは大体同じ結果になるし、これとこれは同じ効果が得られるんだという結果を確認するためにすることだけど、そのどれもが違った成分ではあるよね。どうして違うのか、何が違うのか、そしてもしかしたら違う結果が生まれるかもしれない、そう考えずに最初から同じだと決めつけていたら、ほんの少し違うだけの結果が出た時に気付くことが出来ないかもしれない。そのほんの少しが別の実験をした時に大きな変化の種になるかもしれないのにね。
日々の生活もこれと同じだよ。朝カーテンをわざと半分閉めたままにしたことで、帰宅した時に部屋になんらかの変化があるかもしれない。靴をいつもと違う方から履いたことで、転ばなくなるかもしれない。いつもと一本違う交差路で曲がったことで、雰囲気のいいカフェを見つけるかもしれない。自分が生きる日常が培養液のような基礎だとしたら、キミたちが選ぶほんの些細な選択の違いが実験材料そのものになるんだ。つまらないと嘆きながらも溶液に何も加えず、ただそれが沸騰して水分が飛んでいくのを見続けるくらいなら、そこに石ころのひとつでも入れてみるといい。それがキミの運命を大きく変える出会いになるかもしれない。
日々を嬉しい、楽しい、そういった感情で彩る絵の具は誰だってその手の中に持ち合わせているんだよ。違うのはそれを使うか使わないか、ただそれだけさ。
こういったことを言っていると時折人からアルベドは賢い、強い、優しい、大人だ、……なんて言われることもあるんだけどね。ボクはそうは思わないよ。ボクはただ目の前にある現実と結果を見つめて積み上げているに過ぎない。
……そうそう、因果応報、なんて言葉もあるね。自分が積み上げたものが間違っていればそれが自分へと返ってくるし、自分にとって正しければそれが返ってくる。世界の構造は複雑に見えて存外シンプルだ。自分の積み重ねたミスはいずれ自分の行く手を阻むことになるし、布石を打っておけばいつか自分の助けになることがある。これはどんな場面においてもそうなるべくしてなっていると思う。ボクはただその使い方について考え、学んできただけに過ぎない。

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205 :夕_陽_リ_リ(2_4_3_4)
2022/05/29(日) 23:52

誰かが笑顔になるならその下には屍が埋まっていたり、誰かの努力という礎や我慢という犠牲があったりするんでしょう。ノーコストの結果なんて世界のどこにもありはしません。いつかの誰かの笑顔が見たいなら、その幸せを願うなら、自分が幸せになりたいなら。そこに支払うべきコストを知らなければいけません。その中に拳という選択肢がある時も、きっと少なくはないんじゃないですかねぇ。


微妙なはみ出し方をしたので久々にこの下はどうでもいいことを連ねたりするかもしれません。


エウルア貯金を少し崩して煙緋完凸チャレンジをしました。20連で完凸させてくれた煙緋、流石わたしのエースアタッカーだな……ついでに念願のディルックも来ました。あとはもう万葉が来るまでガチャ禁です。すぐ後にエウルアが来たらどうしよう……。


脳みそが疲れすぎてカルガモの親子を見ながら「カルガモってなんで哺乳類なのに卵から生まれるんだ?爬虫類か?」とかいう何も合ってない思考をしてしまって泣いています。


お天気が良くて気持ちいい朝からすごいローになる夢を見て暴れてます。

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