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43.アインザッツの銃声を(保存)
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45 :
グ/ルッペ/ン・フ/ュー/ラー
2018/12/27(木) 23:58
蜂蜜漬けのセントーレア
時計の針はもう、正午にほど近い。
カーテンの隙間から差し込む光がいつもより眩しいのはどうしてだろうかと考えたところで、すぐに思い立った答えに居心地の良いような悪いような、なんとも言えない気分を味わいながら身体を起こした。汗のせいだろう、全身べたべたとして気持ちが悪い。ひどく喉が渇いているし、どこもかしこも倦怠感を覚えているし、ついでに思考回路ときたらすっかり断線して火花を散らしている。およそ人には見せられない姿であるのを自覚しながら、隣で呑気に眠っている恋人の姿へと視線を寄越す。
お前のせいだぞと、安らかに眠るその鼻を一度つまんでから口付けてやれば、ふが、と間抜けな鼻息が聞こえた。
よく聞くような、起き上がれないだの腰が痛いだの、意外にそんな事もないようだ。ゆっくりと立ち上がってみれば――少しばかり軋みはしたものの――問題なく身体を動かせた。節々の違和感は歳のせいで、ふらつくのは貧血のせいということにしておいて、浴室へ向かったその足が止まったのは、その手前の洗面台でのことだった。
うわ、と声が出たのは許して貰いたい。それはちょうど、きっちりとスーツを着込んでようやく見えなくなるような、首筋の半ばほどから下へと広がっていた。
ひとつ、ふたつ、みっつ。……数えるのも馬鹿らしい。無造作に赤々と点在するそれらは一日二日では消えないだろう。記憶の糸をたぐり寄せてみれば、確かにチリリとした痛みのようなものを何度となく感じていたのを思い起こせた。成程、あれか。それにしたって付け過ぎではないだろうか。着崩しでもしたらすぐさま見えてしまうような、首筋に一際目立つ大きなそれを指腹でなぞる。
――鏡の向こうの自分が、にわかに表情を崩す。思い出された言葉があった。数か月前だろうか、それは持ち物のこだわりなんかの話をしていた時のことだった。
「持ち物にシールとかステッカー貼るの好きなんすよ。俺のやでってすんねん」
機嫌良く話していた言葉を思い出せば、噴き出すのを堪えずにいられなかった。つまりそういうことだろう。ならば仕方ない、一言二言零そうとした文句を喉奥へとしまい込んで浴室の扉を開けた。
愛おしい独占欲の前に、体裁など無意味だ。
中途半端に水気を拭った髪の毛からぽたりと水滴が落ちる頃、正午を超えていた。
ペットボトルを片手に寝室へと戻り、ベッドサイドに腰掛ける。カーテンを開けてしまえば彼の目はすぐに覚めてしまうだろうから、その前に悪戯を仕掛けておこうと、そう思い立ったのは寝顔を眺めはじめてすぐのことだった。
暑いのだろう、寝ているときはいつも布団をこちらに寄越すのが今だけは好都合だ。すっかりはだけた布団はわずかに足を覆うのみで、丸っこい肩は無防備に晒されており、肉に埋まりがちの鎖骨が控えめに覗いている。
さて。
――……彼ほどの鮮やかなものではないにしろ、しっかりと首筋にシール代わりのそれを残した私はすぐさま身を起こしてベッドから降り、機嫌よくカーテンを開けた。
真上へと昇った日差しがいっぱいに部屋を照らす。不満げに身じろぐ気配がしたので、柔らかく揺り起こしながらもう昼だぞと声を掛ければ、ようやく開いた瞼から紅の瞳が見えた。
まだ布団にいたいのだろう、こちらを誘惑するように伸ばされた腕をかい潜る。窓辺まで逃げてしまえば観念したように半身を起こす姿が目に入って、満足した私は窓のほうへと視線を移した。
窓べりに置かれた硝子瓶が、ゆるやかな屈折率で寝室を照らしている。リビングにあるものとよく似た、飴色の小瓶の底には細い花びらが幾重にも重なって行儀よく沈んでいる。
それはこの寝室の扉をはじめて開けて、すぐに窓際へと飾った、ふたりの夜を見守るものだった。
目の前でひっくり返してみると、底にたまっていた花びらがゆっくりと落ちていく。秒速1センチにも満たないほどの落下。光を受けてきらめく薄紫色の花弁は、体中に散るこの赤がもう少し日を重ねたころと同じ色だろうか。
蓋付近まで落ちきったのを見届けてからもう一度、ひっくり返して元通りに置いた。
揺らめく小瓶の正体は、蜂蜜漬けのセントーレア。
つい昨晩味わった、私だけが知る甘やかな声を、あちこちに散る独占欲を、この中にずっと詰めておけたのならば、それはとても良いことのように思うのだけれど。
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