いつかのその時は来ないと知りながら、いつかのその時を考え、待っている。待つだけ無駄だと笑う奴もいるが、そんなのは知ったことじゃない。俺が必要としている。他の誰でもない俺が。誰のためでもなく俺のためにやることを否定する理由なんてないだろう。それだって、ひとつの夢だ。
時の流れに流れ過ぎて消えたもんだと思ったがそんなこともなかった。散らかった部屋の中から鍵を探すのにえらい苦労したぜ。そんで何の因果か俺もまだ、いる。それが良いか悪いかはわからねぇが、まぁ在ることに何かしらの意味はこの先で見出だせるだろう。相変わらずのらりくらりと生きているが、何事も過ぎると『不明』になるんでな。白黒つけない灰色の回答、0にも100にも振れない50よろしく曖昧の心地良さを甘受している。甘受した結果のこれだから相変わらず毒にも薬にもならない。へそで沸かしたお茶でこの場は濁すさ。
そうだ、ホワイトデーのクッキーは腐る前に食いに来てくれ。生死不明の隣人より。
気づけば年も明けて四月一日も過ぎていた。嘘を吐いても許される日とはいえ、今更改めて吐き出す嘘もない。常日頃虚実混ざったフィクションとノンフィクションの境目を生きている身としては、今こうして在るという事実が嘘の塊のようなものだ。寝ても覚めても嘘と本当、夢と現実。最終的な結末がどう転んでも、まぁ悪くなかったと思えたらそれでいいじゃねぇか。終わり良ければ全て良し。だから、その日が来るまで今日もまた酒精に溺れて酩酊している。これ以上無いほどの最高の嘘と悪夢だろう。
積み上げて、積み重なって、完成する手前で崩して壊す。積み木崩しを延々と繰り返す。完璧なものはいつまでも出来ない。欲しいものは手に入らない。それを悲観している訳じゃない。完成したら維持しなければならないプレッシャーと闘うことになり、欲しいものが手に入ったら失う恐怖に怯えることになる。結局達成感なんてその一瞬だけのもので永続的ではなく、むしろ、ひとつの折り返し地点なのかもしれない。そこへ向かうまでの過程とそこから先。何事にも終わりがあることに安堵しながら、同時にそこに到達するまでの時間稼ぎをしている。臆病者の性だなこりゃ。けれど、そろそろ飽きちまったから、積み木のゲシュタルトが崩壊する前にひとつくらい完成させてもいいんじゃねえか。
昨日の影踏み、今日の嘘喰らい。
振り返れば愛してるすら言わせてくれなかったと恨み言の一つでもこぼしたいが、それはお前のための言葉じゃなかった。ただそれだけのことだったんだろう。
それだけのことだと割り切れたら傷つけずに済んだはずなのにな、お互いに。