ねじまき鳥が甲高い声をあげて、高く空へとのぼってゆく。
立つ鳥跡を濁さずとはよくいったものだけれど、旅立つ時はいつだって最小限の荷物だけで、後は全て捨てて、まるで最初から何もなかったかのように綺麗にしてゆきたい。生来の旅人はきっとそんな気持ちなのだろうね。移動する度に荷物が減るのは本当に必要な物は極僅かであることを知っているからだろう。身軽でいいねえ、と笑ったのはいつの話だったか。あれは桜が散り始めた三月の終わりだったか。リュックひとつ背負った名も知らないそのひとが、片手を大きく振って次へと歩き始める背中を、僕は煙草が燃え尽きるまでずっと眺めていた。
何だかんだ言いながら、何だかんだ動きながら、毎日毎時間毎秒呼吸をしている。
溺れないための息継ぎをする練習場所を、探さなければならないのかもしれない。泳ぎが得意じゃないならせめて沈まなければ良い。ただそれだけの話だ。
ただそれだけのことが、こんなにも難しい。
やさしいふりはできても、それが真にやさしいかと問われたら、恐らくは否と答えるだろう。人間が求めるやさしさと俺たちが持ち得るやさしさは根本的に違うもので、その齟齬に最初は気づかなくても後々にきっと大きくなっていく。
やさしくなりたかった、と思う。あんたの求めているものになりたかった。あんたが求めているものを与えたかった。俺は確かにあんたより長生きだが、人の手によって生み出された存在だ。だから求められなければ錆びていく。求めてほしかった。その手に馴染むように、この身に熱を移してほしかった。哀れんでいたんじゃない、恋しかったんだ。それを物故の渇望と神故の博愛と捉えられたらどうにもならないが、否定したところで聞く耳は持たないだろう。刃生は長かろうと人生は短いもんでね。物も神も人間に依存して存在する。だからあんたには到底勝てる気がしないよ、主。遠く離れてしまった今でもそう思っている。
嘘を吐いても良いという日に何を言うかと考えていた。この日は一年に一度、大っぴらに嘘を吐いても許される日らしい。嘘が嘘になるのは午前中のみとか不思議な制約はあるが、敢えての免罪符としているなら可愛いものだろう。そもそも大なり小なり誰しも日常的に嘘を吐くものだ。それを敢えて許されると公言することで何かしらの負の感情を緩和させているのか。実際のところはよくわからんが。
「鶴さん、嘘を吐くなら笑える冗談にしてね」
「お?最初に釘を刺すってことは既に笑えない冗談でも言った奴がいるのか?」
「さっき主がご丁寧に自分の遺影を持ってきた」
「あ、あるじーーー!!」
それはそれはよく出来ていたよ、と笑う光坊の目は笑っていなかった。うん、笑えないな。俺だったら笑ってやれるが他の者たちは笑ってくれないな。案の定、短刀には泣き喚かれて初期刀殿からは説教を食らったらしい。光坊からはおやつ無しの刑に処されたと。飯抜きの刑じゃなくて良かったじゃないか。毎度中々ぶっ飛んだことをしてくれるが今回ばかりは流石に反省しているらしい。文机に突っ伏して悄げている。
「まあ、きみが本当にそうなった時は俺が墓の中で添い寝してやろう。墓守は任せてくれ」
それが追い打ちになったのか主はとうとう泣いてしまった。ブラックジョークにするつもりは無かったと言うが、既に各方面の地雷を踏み抜いてるから遅いぞそれ。あとこの遺影よく出来てるな、こんなものに夜なべをするんじゃない。
こんな騒動を経て時刻は正午丁度。
俺の言葉が嘘か本当か。さて、どっちだろうな。
愛はコワレモノだから、俺みたいな奴が触ったらきっと簡単に壊れてしまう。死んだ猫を土に埋めたのは愛なんかじゃなくて、あの時できなかった心残りも一緒に埋めたかったから。世の中の方がおかしいって言ってるのは、俺みたいな奴がいつまでも生かされているから。
ヒトって火傷をしたら耳朶を触るんだってさ。身体の中では一番冷えてるからなんだって。わざわざそんなことをするほど、ヒトの身体に熱があるなんて思わなかった。……俺はずっと寒かったから、耳朶以外もずっと冷えたままだったよ。だから俺みたいな奴が触ったら、きっと凍えさせてしまう。愛はコワレモノだから。埋める時は粉々に壊して、俺も一緒に埋めてほしい。