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青春FREEDOM
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59 :
乾貞治
2008/07/14 19:31
やぁ、珍しく日記ギリギリかな。
気合い入れて書こう!
そういえば、最近、夏だなぁって思う事が多いな。勿論、熱いからっていうのもあるんだけど、それよりもこの間セミが鳴いていてね。(!)うわ、夏だー…ってシミジミ思いました。(←)お店にもスイカが並んだり、コンビニにもかき氷が並んでいるしな。
しかし、やはり夏と言えば海だろう。(眼鏡キラリ)青春のメモリーだよね。(黙れ)まぁ俺は基本的に夏は好きじゃないんだが。(←←)
さて、菊丸からのお題は、
#「七夕について」
か…。
そうだな、とりあえず俺の知っている七夕の情報から載せようか。(データノートぱらぱら←)
七夕とは、旧暦7月7日の星祭りの事。現在は新暦の7月7日や月遅れの8月7日におこなう所もあるようだね。
織女星(こと座のベガ)と牽牛星(わし座のアルタイル)を主人公とする中国の星の伝説に由来する年中行事。
伝説によれば、天の川の東で機織りに励む女がいたそうだ。天帝がこの女を愛でて西側にいる牽牛と夫婦にしたが、新生活の楽しさに機をおらなくなったので、怒った天帝は彼女を天の川の東に追い返し、年に1度だけの逢瀬を許した。この夜、カササギが天の川にかける橋をわたって、織女は牽牛と再会する。中国のこの伝説にはいろいろ異型があるが、古くは「詩経」の大東詩に歌われ、後漢の時代には一般化して、やがて女たちが星に針仕事の上達をねがう乞巧奠(きっこうてん)の行事となった。
とまぁこんな所かな?あまり難しい事ばかり書いても面白くないよね(笑)まぁもう少し付き合って(←)ここまでは俺の知識。残りはネタが無くなったから箱に頼った(駄目じゃん)
この伝説は朝鮮や日本に伝わって、日本では七夕の信仰と行事になったみたいだ。「万葉集」には七夕をよんだ歌が130首以上もあるし、牽牛を彦(男)星、織女を「たなばたつめ」(棚機をおる女)とか「たなばた」とうたっている。日本では川をわたるのが男になり、彼らの出会いをわがことのようにうたう歌が多いのは、当時は夫が妻の家にかよう妻問婚が一般的だったことによるんだろうね。奈良時代には乞巧奠の行事もつたわり、朝廷の節会(せちえ)のひとつになったんだ。七夕行事につかわれた針道具が正倉院に残っている。平安時代には織部司(おりべのつかさ)が織女祭をおこなった。人々は鴨(賀茂)川で身をきよめ、琴を奏して七夕にたてまつり、歌会などをひらいた。江戸時代には幕府が五節句のひとつとした。織女は「織り姫さま」とあがめられた。
伝統的な日本の七夕の行事には、季節の節目にあたって悪霊や疫病をはらい、水で身をきよめる思想や、当日の降雨の有無でその年の作柄の豊凶をうらなう民俗、祖霊をむかえる盆(盂蘭盆)の信仰などがまじりあっていたらしい。長野県の松本地方では七夕人形を軒につるし、これにうつした厄を風にはらってもらうというんだって。出雲地方ではこの日、ネムの葉と豆の葉を一束にして川にながし「ネム(眠気)はながれよ、マメ(健康)の葉はとまれ」ととなえる。7月7日は、祖先の霊をむかえる準備をし、墓掃除や仏壇をあらいきよめる七日盆(なぬかぼん)の日でもあるんだって。
現在も、子供や女性が技芸や学問の願い事を五色の短冊に書き、笹竹にかざる風習が各地にあるよね。仙台市の七夕祭は東北三大祭りのひとつとして有名だけど、これが現在のように豪華になったのは第2次世界大戦以後なんだ。
ふぅ…(疲れた←)何て長々書いたけど、半分は箱情報。(ぁ)
俺が感情的に言わせて貰うなら、俺はほら、恋人とはずっと一緒に居たいから。(笑)年1しか会えないなんて、俺には耐えられないよ。しかも雨が降ったら会えないだろう?可哀想すぎる。(さめざめ←)
どちらにせよ、二人は有る意味悲恋なのかもしれないな?
さーて、次のお題は…(じゃじゃん!)
#「恋愛が一番似合いそうな季節は?」
でよろしく(笑)
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