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『端っこの美学』
 ┗382

382 :日吉若
2009/06/23 08:03

お早う御座います。書く事が無いか、書きたい事が多過ぎて投げたか、何方にせよ書かない日吉若です。
前回の、10年選手ネタへの周囲の反応が思ったより大きく、七不.思議日吉の引用を申し訳無く思った俺。
(羞恥プレイ御免な、そして素敵なネタ提供に感謝。)
反省の意を込めて、半月程日記更新を自粛してみました。とても書きたかったが、我慢我慢。 
自粛しなくて良い時の放置の方が長いのはご愛嬌。

ぱ.ぷの忍足先輩が8月に日記を開設した同期組を探していましたが、どうやら少ないご様子。
其の理由としては、各学校で『夏休みの友』と言う絵日記の宿題が出るので二冊も日記を持つ気にはなれなかった、と言う線が有力だと思います(小学生?)
祝いの言葉は有難く頂戴しました。忍足先輩も仲間じゃないですか、10年選手チームへようこそ!
此処だけの話、鳳が何時も先輩の事を惚気て手に負えません(!)

日記完走迄10年…宍戸先輩や忍足先輩も、一瞬焦りを感じたのだろうか。「じゅ、じゅうねん…!?」みたいな。
然し、其れは恐らく一瞬の事に過ぎない。次の瞬間には、「まあ、俺は俺だ」と各自が思ったに違いない。
え、俺だけですかね。俺は俺、でしょう。俺なりのペースってものが有るんです。
どんなペースかって?

今月某日、ゼ.ロシシ先輩が、『何年何月にどれくらい日記を書いてきたか』と言う頁数データを公開した。
続いてめ.ばの忍足先輩も公開。こうして更新ペースを分析すると色々見えて来るとの事。
そして密かに俺の日記も分析してくれたらしく、突然、其のデータは送信されて来た。
氷帝学園にはデータマン不在と言われているが、実は宍戸先輩がそうなのか。唯の努力の人では無かった(失礼)
ですが、あの人は自分の興味の湧いたデータしか集めないと思う(…)後は努力と勢いでカバー。大丈夫か、氷帝学園。

――さて、例のデータを公開、皆さんも俺と一緒に当日記の歴史を振り返ってみましょう。


> 2006
月/ページ
6 / 36
7 / 14  
8 / 31
9 / 20  
10/ 23  
11/ 11  
12/ 24  
合計:159
平均:22.71
    
> 2007
1 / 8  
2 / 9  
3 / 23  
4 / 21  
5 / 15  
6 / 14  
7 / 11  
8 / 9  
9 / 5  
10/ 5  
11/ 18  
12/ 20  
合計:158
平均:13.16
    
> 2008
1 / 1  
2 / 6  
3 / 7  
4 / 4  
5 / 4  
6 / 5  
7 / 5  
8 / 5  
9 / 8  
10/ 8  
11/ 3  
12/ 1
合計:57
平均:4.75

> 2009
1 / 0  
2 / 0  
3 / 1  
4 / 0  
5 / 2  
6 / 3  
合計:6
平均:1




俺の日記を分析した宍戸先輩の第一声、

> 「お前、2009年酷いぜ」

俺の2009年を全否定(!)確かに、上半期の酷さは一目瞭然。然し絶望的では無い、徐々に頁数は増えているでは無いか。
では、解説と言う名の言い訳を少々。

> 2006年解説
…36頁、一番多く書いた月が一番最初の月って如何なの、俺。初っ端張り切り過ぎているとか、何処の子供ですか。
翌月の7月は、跡部部長とお付き合いしようと思っていて、結局俺が壊してしまったんだよな。反省の月。
此の年と翌年、12月に比較的頁数が多いのは、愛すべき"日吉若"の誕生日が有るからだと思われる。

> 2007年解説
そして、面白い位にあからさまな2007年以降。
鏡の君と言う、お世辞にも円満だったとは言えない恋人さんと別れたのが、2007年3月初旬だったんですね。
彼は俺の日記を何より憎んでいて、俺に日記を焼却させる事に情熱を注いでいた子だったので、別れた途端に頁数が増えている(…)
俺は彼との事で悶々としていたので其の呟きだとか、後は、と或る規制を掛けられて自由に交流出来なかったので、
其の友人関係を修復するかの様な私信や集会参加の結果が、2007年の3月から7月。


[>>381 続く]

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381 :日吉若
2009/06/23 07:58

[>>382 続き]


7月に鏡の君との連絡手段が完全に断ち切られ、漸く吹っ切れた後――…
8月から10月は、一夏のアバンチュールに明け暮れた(!)
もう、今でこそ言えるが、此の辺の俺は夜な夜な人肌求める歓楽街の住人でした。そりゃあ日記も疎かになる訳だ、ハハ。
其の中でウチの切原が声を掛けた日吉君と逢瀬を重ねて付き合い始め、夜遊びを止めたのが11月。見事に日記にも復帰を果たした(単純)

> 2008年解説
1月、6丁目に切原が密かに交換日記を作り、端っこ日記の更新数は一気にダウン。
此の時は、恋人さんに自分が端っこ家の切原だとカミングアウトしていなかった為、リンクも貼らず、交換日記をメインとして過ごしていました。
まあ、其の後は――…、
単 な る サ ボ タ ー ジ ュ で す 。

> 2009年解説
2008年12月に更新が止まり、2009年の3月迄は、町には戻らない心算で居ました。一年半続いた日吉君とけじめを付けたのも3月。
約束が有れば顔は出すが、もうそろそろ、と居場所と呼ぶに限界を感じていた最中で。
まあ、そんな時に偶然出会ったのが柳さんでした。
其の方が町で友人関係を築いてきた香.炉さんだと知った事で、手放した筈の日記が恋しくなり、気紛れに戻って来たのが5月。

5月に2頁、6月に5頁…着々と頁数を増やして今に至ります(レベル低い)
5…6…7、と増えていき、何時かは一月に31頁を更新する月も来る。其処で漸く"日記"と呼べる訳だ。


> 【 分析から導き出した課題 】
日記の完走を目指す前に、先ずは"日記"と呼べる様になる処から目指すべし。


>*+*+*+*+*

> 私信めいた呟き。

HOME.幸村さん…と言うか芥川先輩、正月以降行方を眩ましていた彼が復帰していた。
5ヶ月振りも何の其の、貴方も俺と同じ匂いがして嬉しかったです。6月8日で町にいらして三年か、おめでとう御座います。

いんこ向日家のインコさんが元気になって何よりです。
まあ、日記で重い事を書いたらいけないと言うのはありますが、あの位なら全然、俺としては問題有りませんね。
俺に関わる内容で重くなっている訳でも無いし(笑)其れだけインコが好きなんだな、と伝わって来ましたから。
近いうちに又、遊べたら良いですね。

バナちょも半年振りの日記か(笑)久々に見掛けて嬉しかった、そして成長していない事に安心したぜ。

根がポジさん…!新日記開設、おめでとう御座います。まさに「ありがち」な言葉ですみません(笑)

龍龍、ミ.スド、雪白…何て呼べば良いのか、輝けるエンス・アストラーレとはまた、彼奴にしてはシンプルな気がする。サブタイトルが無いし。
乱入?俺、何て乱入すれば良いんだろう。其の辺を伺いに後日板にお邪魔致します。嗚呼、七.不思議との約束も有るし、怪談集会の話でも持ち掛けてみようか。

神尾、…お前の「orz」の話に噴いた。何の呪文だ、滅びの言葉と一緒にするなよ!まあ確かに、眼鏡を探す王の姿に見えなくも無い、かな?



柳さんが俺の日記をやたら読みたがるので困ります。
此の分析結果を書くに当たって所々頁を開いてみたが、本当に如何しようも無い感じだった(…)


..

382 :日吉若
2009/06/23 08:03

お早う御座います。書く事が無いか、書きたい事が多過ぎて投げたか、何方にせよ書かない日吉若です。
前回の、10年選手ネタへの周囲の反応が思ったより大きく、七不.思議日吉の引用を申し訳無く思った俺。
(羞恥プレイ御免な、そして素敵なネタ提供に感謝。)
反省の意を込めて、半月程日記更新を自粛してみました。とても書きたかったが、我慢我慢。 
自粛しなくて良い時の放置の方が長いのはご愛嬌。

ぱ.ぷの忍足先輩が8月に日記を開設した同期組を探していましたが、どうやら少ないご様子。
其の理由としては、各学校で『夏休みの友』と言う絵日記の宿題が出るので二冊も日記を持つ気にはなれなかった、と言う線が有力だと思います(小学生?)
祝いの言葉は有難く頂戴しました。忍足先輩も仲間じゃないですか、10年選手チームへようこそ!
此処だけの話、鳳が何時も先輩の事を惚気て手に負えません(!)

日記完走迄10年…宍戸先輩や忍足先輩も、一瞬焦りを感じたのだろうか。「じゅ、じゅうねん…!?」みたいな。
然し、其れは恐らく一瞬の事に過ぎない。次の瞬間には、「まあ、俺は俺だ」と各自が思ったに違いない。
え、俺だけですかね。俺は俺、でしょう。俺なりのペースってものが有るんです。
どんなペースかって?

今月某日、ゼ.ロシシ先輩が、『何年何月にどれくらい日記を書いてきたか』と言う頁数データを公開した。
続いてめ.ばの忍足先輩も公開。こうして更新ペースを分析すると色々見えて来るとの事。
そして密かに俺の日記も分析してくれたらしく、突然、其のデータは送信されて来た。
氷帝学園にはデータマン不在と言われているが、実は宍戸先輩がそうなのか。唯の努力の人では無かった(失礼)
ですが、あの人は自分の興味の湧いたデータしか集めないと思う(…)後は努力と勢いでカバー。大丈夫か、氷帝学園。

――さて、例のデータを公開、皆さんも俺と一緒に当日記の歴史を振り返ってみましょう。


> 2006
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平均:22.71
    
> 2007
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平均:13.16
    
> 2008
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> 2009
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合計:6
平均:1




俺の日記を分析した宍戸先輩の第一声、

> 「お前、2009年酷いぜ」

俺の2009年を全否定(!)確かに、上半期の酷さは一目瞭然。然し絶望的では無い、徐々に頁数は増えているでは無いか。
では、解説と言う名の言い訳を少々。

> 2006年解説
…36頁、一番多く書いた月が一番最初の月って如何なの、俺。初っ端張り切り過ぎているとか、何処の子供ですか。
翌月の7月は、跡部部長とお付き合いしようと思っていて、結局俺が壊してしまったんだよな。反省の月。
此の年と翌年、12月に比較的頁数が多いのは、愛すべき"日吉若"の誕生日が有るからだと思われる。

> 2007年解説
そして、面白い位にあからさまな2007年以降。
鏡の君と言う、お世辞にも円満だったとは言えない恋人さんと別れたのが、2007年3月初旬だったんですね。
彼は俺の日記を何より憎んでいて、俺に日記を焼却させる事に情熱を注いでいた子だったので、別れた途端に頁数が増えている(…)
俺は彼との事で悶々としていたので其の呟きだとか、後は、と或る規制を掛けられて自由に交流出来なかったので、
其の友人関係を修復するかの様な私信や集会参加の結果が、2007年の3月から7月。


[>>381 続く]