top
┗
オトコマエですが、何か?
┗498
498 :
向日岳人
2009/01/28 17:36
子どもは、ネットの中に第三の居場所を求める。
従来、第三の場所は子供会であったり、地域の児童館であったり、友だちの親だったり近所のおっちゃんおばちゃんだった。
それが、今、地域の結びつきが希薄化し、家の中で遊ぶ子どもたちが増えてきた。
その為に、学校にも、家庭にも居場所を見出せない、不安を持つ子どもたちが、ネットの中に居場所を求めて、ネット上の付き合いを求めるようになった。
これによって、所謂出/会い/系/サイトで出会った大人にこどもは依存し、ホイホイ会おうとするようになった。
ネットで出会う人たちは、趣味が同じだ、自分の欲しい言葉を次から次にくれる。
甘い言葉を、楽になる言葉を。
しかも、イヤになればその時限りで切ればいい。
それで、ジ・エンド。嫌なことは自分の周りから消え去る。
本来は自分にとっていい存在も煩わしい存在も、両方と向き合って生きていかなければならないのに。
相手の顔も見えない、声も聞こえない場所で、誰が見ても構わない、自分の言いたいことだけを吐露する。
言いたくなければ言わなければいい
見たくなければ見なければいい
目も耳も塞いで。それはとても居心地がいいようで、はたと気付けば、なんとも虚しいこと。
本当にこのままでいいのだろうか。
これが、最近、本を読んで俺が学んだこと。
「そっか、俺、居場所が欲しかったんだ」って感じた。
家にも学校にも不満は無いと自分に言い聞かせてはきたけれど、その隠れた心の奥底に、本当は、本当は寂しくて仕方なかったんだ。
ここにこれば、誰かが居る。
誰かが俺を見てくれる。
それが真実か否かは分からないけれど。
逃げてきたんだ、リアルから。
目を見て、声を見て、心を感じて、本来は現実場面で口にすべき言葉の数々を、どれだけ俺はこの日記に吐き出しただろう。
この日記を書く『俺』が本当の自分なのか、偽りの自分なのか、それは分からない。
それでも、オトコマエの『俺』は此処に居る。
向日岳人ではない、『俺』が此処に居る。
初めて会った奴も、『俺』の辿った足跡や手形や、涙や食べかすやら、色々なものを包んでくれたこの日記を見て、コレが『俺』だと認識する。
『俺』はあと少しでオトコマエではなくなる。
オトコマエだから、と着飾って隠した来たことがある。
逃げてきたこの町で、また、俺は逃げているのかもしれない。
だから、オトコマエという皮を此処に置いて、俺はまた、一歩目から、歩き出そうと思うんだ、この町で。
まだ、リアルで向き合うだけの力が無い俺に、もう少しだけ甘い蜜をクダサイ。
しっかし、この前の5.5重みそみそは実にみそみそした。
最後にいい思い出、貰ったと思う。
幸せいっぱいだー。
たこ焼き食ったのに元気出ねぇ。
フルーツか、ビタミンか!
昨日見たビデオで、五人戦隊のカラダツクルンジャーは、たんぱく質レッド・脂肪イエロー・ミネラルピンク・ビタミングリーン・カルシウムブルー、みんながバランスよくねーと、ちゃんと働かねーんだって。
だから、今俺の体は何かが足りてねーらしい。
とりあえずたこ焼き食って、タウリンはゲットした!
……あれ、タウリン、ツクルンジャーに入ってねぇ…!!!
[返信][
削除][
編集]
[
Home][
設定][
Admin]