Yahoo!ショッピング

一覧
いつかの回顧録。
 ┗299

299 :
09/18-23:18

#夏の残り香に君を思う


夏はい草の匂い。
そう言って、俺の恋人は笑う。
美しい花の名前をした俺の恋人は、夏になるといつも目を伏せて端正な眉を下げ、少しだけ口の端を持ち上げて諦めたように笑う。色を無くした頬は陶器のように滑らかで、生きていないようになだらかで、だから其処をころんと転がる涙もまた、宝石のように作り物めいていた。あまりにも悲哀と離れた顔で、美しさの象徴みたいな涙を流すものだから、俺の感情はごうと唸りを上げてなにも言えなくなってしまう。涙とは悲しみを癒すための表出であるはずなのに、なんの感情も乗せないその涙のなんと美しいことか。
何度愛しても、まだ尚愛したりないものを持つ恋人に、俺は恐ろしさすら感じた。

冬生まれは寒さに強いと申しますが、それならばきっと、冬生まれは暑さに弱いのですよ。夏に厭われているのでしょう。この眩い光が、それを浴びて輝く青が、緑が、全て私を苛むのです。嗚呼、薄く掃いたような雲が恋しい。積もる雪が作る静謐な夜に透き通る夜空を眺めたい。そう言って恋人は日の高いうちから畳に額を擦り付けながら伏せて蹲る。縁側から差し込む日差しから逃げるように、夏の声に耳を塞ぐように。

人形のように美しい顔で微笑み、手負いの獣のような激しさで慟哭する恋人は、1つの体の中に2つの心が入っているようだった。どうにもならない感情を持て余すくらいならばいっそ壊してしまおうと、壊すくらいならば己のあずかり知らぬ遠い所へ放してしまおうと、そうやってどうにも出来ずにひとところで足踏みを繰り返す彼を、決して伝えることはなかったが、俺はずっと見ていたいと、そう思っていたのだった。

[][][]



[][設定][管理]
WHOCARES.JP