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ロビンソン
┗12
12 :
北≠伊♀
01/24-15:27
昨夜、あなたの文章は落ち着いてるって言われたんだ。あたしはそれがちょっと意外だったんだけど、それよりももっと意外だったのはこことは違う場所でもそう感じてたって聞いた時。
あたし、全然落ち着きないなぁって自分の事を思ってたから、どの辺がだろうって気になっちゃってさ。だから、その場所にある文章を読み返してみる事にしたんだ。そしたら、…話題は変わっちゃうけど、あたしはその場所の見えないところにこんな事を書いてたんだ。
>話して笑いあえる関係だけを友人とは呼ばない。自分がそうだと思うなら、相手は自分の中では友人なのだ。友のために死ねる事ほど云々(誰の言葉だっけ?)とかもだけれど、愛情も友情も見返りを求めないくらいの想いが持てたなら素敵だと思う。ただ、“友のために死ぬ”ほど優しい人間にはならないんだろうなぁ。叶うならいつだって必死に生きる道を選んでいたい。なぜって、それで周りが傷付くのが“自分が”嫌だから。
>(中略)少し話は脱線するけれど、優しさが傲慢にもなるような世界で、だけど自己犠牲の物語が美しく語られるのは誰もが幸せなバッドエンドに憧れるからなのかもしれないね。刹那的で儚いものを綺麗だと思うのは、つまりはそういうことなのかなぁ。
あたし、いつからかずっとそうだったんだ。少し前の記事にもある『幸せなバッドエンド』って言葉を、十年近く前から考えてた。
小さな頃から、ドラマみたいなハッピーエンドに憧れてた。だけど、いつからかそんなものはないんだって思い始めてからは、バッドエンドでも自分が納得出来るならそれで良いんだって考え方になって。でも、そんなバッドエンドにも色々あるじゃん。その色々の中で、あたしに出来ないのは『自己犠牲』だったんだ。
だからこそ憧れた。自己犠牲の物語を体現するだけの『何か』を、あたしは持ってない。それがもしも出来る事だとしたら、あたしはきっとそれを目標と呼ぶに違いないから。
ねぇ、別にガラスの靴も泡になるような悲劇もいらないの。それでも持っていたいのは憧れと、…それから。
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