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猫とバタートーストと仙人と俺。
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13 :
香
01/06-21:28
先生は酒を片手に月を見上げると、よく昔の話をする。
それは俺らが小さい頃の話だったり、俺らがまだ生まれる前の話だったり。
もう先生の他には誰も憶えてない、記録にも残ってない、古い古い話だったりもする。
そんな数えきれないほどの話の中には時々、恋の話も入り混じる。
先生はお爺ちゃんなだけあって、こう見えて恋も愛欲も星の数ほど重ねてきたという。
「なんか似合わなくて、想像つかないっすね」というと、腹を立てる時もあるけど、笑う時もある。
そして決まって、笑う時の方が寂しそうだ。
>「深い恋の終わりには、いつも決まって、死にたくなるある」
老酒の杯を傾けながら、口角を持ち上げて先生は言った。
らしくない台詞。珍しいなと思って「自殺願望ですか」と聞くと、そうじゃない、と首を横に振る。
>「愛する相手と繋いでた糸が切れた時は、それがどんな形であれ、相手が死んだのと同じ事ある。
> 我の声は二度と届かねぇし、我は二度とそいつの心に触れられねぇし、
> 共に過ごした幸せな時間にはもう二度と戻れない。もう、そいつは居ない。
> 我の居ねぇとこで幸せになってればいいとも確かに願うあるが、どのみち我の隣にそいつは居ない。
> だから、死んじまったのと同じある」
そういや、菊さんの家の一昔前の歌にもそんな感じの歌詞があったっけ。
何だったかな。タイトルまでは思い出せないけど。
>「そいつが居なくなっちまって、そいつの瞳の中に映ってた我も居なくなる。
> だからその時に、我も一緒に死にたくなる。
> ぬくもりだけを残したまま、一人で先に行かないでくれと。
> 我だけを一人、夢の世界に置いて行ってくれるなと。
> ……だが、我は死ねない」
老酒をぐっと呷って、先生は月を振り仰ぐ。
上弦にも満たない月が静かに輝く下、俺は先生の空けた杯に酌をする。
>「國だから、って意味じゃねーあるよ。
> そうじゃなくて、ただ、我はいつも決まってその時に一緒に死ねない。
> 一人残っても辛いだけだと知りながら、それでもまだこの命を終われなくて、
> いつか次にまた、どこかで出会う誰かが、今度こそ最後になればいいと希う。
> 次こそは、今度こそは――我の時間を終わらせて、我の終わりまでを共にして、一緒に連れて行ってくれたらいい、と」
酔いに任せた呂律で謡うように語って、先生は小さく肩を揺らし空笑いをする。
まるで、どんなに焦がれたってそんなものは馬鹿げた、詮ない希いなのだと知っているみたいに。
俺は何となく、「それって、何度恋をしても慣れないもんですか」と尋ねる。
>「ああ、慣れねぇあるな。だがどこかで、慣れたくねぇとも思うある。
> 深い恋がその深さの分だけ痛みを残して、その無明の闇がいつしかどうにかこうにか明ける頃、
> 嗚呼、まだ自分はこれだけ深く人を愛せたのか――と、そう思い知るある」
俺はまだ、自分では恋らしい恋をした事がなくて、先生の言う事はたまによく分からない。
耄碌した爺さんの与太話だなと思わなくもないけど、それでも、先生が語りたいならただ耳を傾ける。
きっと爺さんには爺さんで、生きた時間の分だけ、経験してきた物事の分だけ、
胸の奥から滲み出しては零れ落ちるに任せたいような言葉もあるんだろう。
酒を片手に月を見上げて、先生は昔の話をする。
少し寂しそうだけど、俺はその横顔がそんなに嫌いじゃない。
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