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好茶楼の愛犬と女王様
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中
07/28-00:20
#『我儘を言ってもらえないと不安になる』
前にちょっと触れたこれについて、より深く。
我は自分に無理なことははっきり無理と言うある。
それでも愛しい相手に与えてやりたいものが沢山あるあるし、相手の望むものなら我に可能な限り何だって与えてやりたいと思ってるある。が、相手の望みが分からねぇとどうにも的を外しちまう。
で、我儘を言わずに溜め込むタイプの奴は、何が欲しいのかと直接尋ねても大体答えてはくれねかったあるな。
そうすると、我はどうするか。
じゃあ教えてくれねぇならこっちで探すあるよ、と相手が喜ぶものを探すある。
分からねぇなりに、じゃあコレはどうあるか、こっちはどうあるかって手を変え品を変えてあれこれあれこれトライ&エラーしまくるある。
この日記を前から読んでくれてるような奇特な奴なら分かるかもしれねぇあるが、我は無駄に間口も広ければ用いる手段の玉も多い。
それらをフル動員して、百万回でもトライ&エラー。
そして我は厄介な持続力ある気の長い低燃費。おいそれとはめげねぇある。正直滅茶苦茶鬱陶しいと思うある。しかも幅が広いだけに、そして絶望的に空気が読めねぇだけに、何度も繰り返してりゃまず間違いなくどっかで相手の地雷を踏む。まったくもって、どうしようもねぇ。
#そういや、良かれと思ってペットを構い過ぎて弱らせるタイプ、なんて言われたこともあったあるな。
だからまぁ、何をして欲しいのかってのはできればちゃんと分かるように伝えてほしいある。
『我儘を言ってもらえないと(我は何をしてやればいいのか分からなくてトライ&エラーするうちにきっと傷つけちまうから)不安になる』ってことあるな。
尽くしたい気持ちはそりゃもう押しつけがましいほどに山盛りあるが、空気の読めなさには定評のある我ある。ヒントもなしに正解に辿り着けってのは至難の業ある。
(そもそも正解がなくて本当に何も我からいらねぇって思われてるとなると、それはそれで、じゃあお前は我といて一体何が得られてどこが好きあるか…何も与えてやれねぇ我に一体何の価値があるあるか…って不安にかられる、ってのでもあるあるが)
愛し合うなら軽いもんなんざ不要で、重いものが欲しいある。
誰でも簡単に好きになるわけじゃねぇ分、惚れたからにはそれは特別。
束縛も依存もされたいあるし、仮に傍から見て理不尽な関係だったとしても我自身が受け入れられるならそれで良い。
喜びも苦しみも自分の気持ちと向き合って納得して、それでも愛していると実感して、どうにかこうにか寄り添って生きていくって日々にも、それはそれで幸福はあるものある。
愛犬と添う以前は犬より猫派だったってのもそこから来るのかもしれねぇ。
犬ってのは大体最初から従順に主人を見上げて尻尾も振ってくるあるが、その分だけ不満も我儘も内に溜め込んで。
それで、昨日まで尻尾を振ってたくせにある日突然何も言わずに姿を消しちまうような。
別にそれは犬が悪いってんじゃなくて、ただそう溜め込まれると我は細けぇ無言の機微まで察してやれねぇから、我みたいな鈍いの向きじゃねぇあるなぁって話ある。
その点猫ってのは最初は懐いてなくても、我儘で気紛れで浮き沈み激しくても。
懐けばその分、その愛情は本物だと思える気がしたある。
重ければ重いほど、簡単には置き去りにしねぇでくれるだろうと思えたある。喧嘩したり擦れ違ったり、浮いたり沈んだりしながらも、それでもその合間合間に得られる深い実感と貴重な安らぎは何物にも代えがたいものだったある。
今は愛犬とのびのびと暮らしてる我あるが、かつては一度や二度じゃなくそんな恋をしていたのが我でもあって。
それを後悔なんて一切してねぇあるし、その時の恋も我にとっては間違いなく本物だったあるし、我の隣に居てくれた奴のことは今でも悪い奴だったなんて思ってねぇ。至らねぇ我の手では最後まで幸せにしてやることができねかったのだけは心残りあるが、それでも、どこかで幸せであって欲しいと勝手に思ってるある。
……まぁ、思えば色々とあったものあるが。
無欲な愛、無償の愛ってのはエゴのかたまりだとは、今でも変わらず思ってることある。
自分じゃ無欲なつもりでもその内側じゃ、こうあって欲しいって望みが必ずあるものだと思ってるあるよ。
(それは時に相手の幸福という一見利他的なものであったりもするあるが、それもまたエゴある。自分自身の勝手な願望ある。今の我が昔の連れに対して思っているのもな)
タダより高ぇもんはねぇあるよ。だから我の傍に居るというのなら、無欲だなんて目に見えねぇ怪物よりは、目に見える我儘で求めてくれる方がよっぽど分かり易くて、安心して愛してやれるって次第ある。
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