その後。
提出を終えたら後はそれぞれ任務もなく解散の運びになった。釘崎がこのまま買い物に繰り出すっつーことで街に向かう補助監督の人に便乗して虎杖と連れ立って後部座席を占領する。不可侵領域となった東京、都内に密集していた人口が分散しただけに隣接する地域なんかは却って賑やかなぐらいだ。そんな真っ只中を歩こうものなら決戦の一部始終が全世界で配信されていた影響で、外見に特徴がある虎杖の奴なんかは声を掛けられることこそ屡々あったがその頻度も次第に落ち着いていった。世間が向ける関心の移ろいは窓の外を過ぎていく景色と似てめまぐるしいったらねぇ、人が築く営みの逞しさを今になって頼もしく思う。そうして降り立った矢先から意気揚々と軽やかな足取りで去っていく、タフネスさならある意味随一であろう背中を野郎二人で見送ってから、昼飯時を過ぎた辺りではあったが適当な店をなんとはなしに物色するなかでふいに立ち止まった気配がして振り返ると、ド派手なのぼり旗で囲まれた入口の前でただただ突っ立ってる姿があった。なんらかの復刻を喧伝する、煽りに煽った店内放送が少し前を歩いていた耳にまで届く。ぽつぽつと断片的ながらも語られた内容を繋ぎ合わせると、どうやら思い入れのある台らしかった。きっと当時の記憶を掘り起こしながら声に出していたに過ぎないんだろう。事情こそよく汲み取れやしないが裁判だのなんだのの関係でアイツなりのケジメらしく暫くの間、足が遠のいていたってことを知っていたのもあって。ここにきてまで遠慮しようとしやがる、蹴ったぐらいじゃびくともしねぇ筈の脹ら脛を突き飛ばしてやったら態とらしくつんのめって敷居を跨いでいってくれたから。さっきまで向き合っていた辛気臭ぇ死の気配もろとも吹き飛ばすような、鼓膜を劈く轟音につづけて呑まれていった。
そんな土産話をしたところビギナーズラックで勝ち逃げするよう言い含められた。うるせえよ。
元より射幸心に縋ろうなんざ思っちゃいない、愚直だろうと欲するものに向かって足掻くまでだ。アンタならとっくに分かってるだろうに。
虎杖の奴が炬燵を出したってことで久し振りに三人で集まることになった。なにもなんの用事もなく顔を突き合わせたわけじゃない。定期的に提出することを義務付けられた遺書を用意する為だ。天涯孤独の身寄りがねぇ野郎二人、勘当上等っつー勢いで上京してきた釘崎。だからって大した悲愴感もなく近況報告なんかを雑然と交わす声を頭上に、黙々と事務作業に没する。同期だからって内容に触れることはない、始めのうちこそ授業で習ったばかりの書式を都度教えることはあったなりに。どうやら繰り返すうちに習慣づいたらしい。筆致に淀みはなく、喋る声だって途切れる間もなかった。あの人に付いて回っていた頃から用意を怠らないよう念押しされていたから。当時は任務に同行したところで現金が支給されるわけでもなく、よくて図書券ぐらいなもんで、残せるだけの財産もなかった。ただ津美紀の為に、そうやって記すのがお約束で。高専からの援助こそなくなったものの月収が出るようになってからは、得られた報酬のその殆どは入院費を賄う為に注ぎ込んでいた。貯蓄ができるようになったのはつい最近のことだった。余暇といえば鍛錬か読書、金の使い道なんざ碌にないせいで墓を立てたのを最後にあとはただ記帳される額が増えていく一方かと思いきや、図らずしも費やすあてができた。身の丈を越すことはできねぇけどそれでも偶の散財はしたっていいのに、養われてるその人は慎ましやかな暮らし振りを慈しんでるようだった。いっそ貢がせてくれたなら恩返しにもなるってのに、労せず世話まで焼こうとしてくる。まことしやかに囁かれる生存説、それのせいで失効される気配のない懸賞金、まさか噂を肯定するわけにはいかねぇから書面に名前を登場させるのだって憚られるんだが。俺の全部を明け渡すことができればいい。そう願ってる。
父親が蒸発したのは三、四歳の頃だった。それまでだって度々家を空けることはあったが遂に行方が知れなくなったのだと分かったのは、津美紀の母親が男を連れ込むようになったから。顔もろくに覚えちゃいないが肉親からもとうとう見限られた、血の繋がりもないガキなんざ穀潰しもいいところだっただろうに邪険にされることはあっても小学校に入るまでの間、最低限の面倒はみてくれていた。偏にそれは一人娘が弟として迎え入れていたからなんだろう。物心ついた時から住む場所さえも転々としながら、養育の見返りとばかり父親である男から愛情を求める為だけに見え透いた損得勘定ありきの関わりしか与えられてこなかったおかげでとっくに人間不信を拗らせていたものの、手放しで可愛がってくれる姉という存在は次第によりどころとなっていった。だからこそ引き離しきれず、実子であるにもかかわらず共々置き去りにする決断をさせてしまったんだろうが。ある日のこと、帰宅すると卓袱台の上に書き置きと、財布からそのまま抜き取ったように並べられた紙幣、散らばった小銭、内容はただいつも通りの文面で留守番をしておくようにとだけ残されていた。なんとなく、もう会うことはないんだろうと漠然とした予感があった。それでもたかが一年早く生まれただけで姉貴振ろうとする気丈な姿をみていたら、何も言い出せずにいた。元々女手一つで家計を担っていたような暮らし振りで、万年手伝い係であったにせよ家事は一通りこなせていたこともあって、幸か不幸か、生活がただちに破綻することはなかった。誰かを頼ろうにも、信用できる大人なんかいなかった。担任は帰りの会でこれみよがしに俺たちが住んでいる地区には近寄らないよう散々脅していたから狭い教室のなかでも孤立していたし、月々の支払いが滞っていたせいで大家からのあたりも厳しかった、それが地主だっただけに近所の連中もそれに倣っていた。まさに腫れ物扱いだった。愈々資金が尽きそうになった頃、口座から引き落とせなくなったらしく催促状がひっきりなしに届きだして郵便受けを開けるのが億劫になってきた辺りで、あの人はやってきた。幼子ふたりが肩を寄せ合って脆く維持してきた世界の、そんな危うげな瀬戸際のことだった。
臨死体験を聞くに。
根雪の峰々を借景とする、人里離れた奥山の屋敷にやってきてからというもののあの人は愛日のひだまりのなかで昏々と睡りこけていた。澄んだ空気を取り入れる為に開け放っていた窓から射し込む陽光は、おろしたての真っさらなリネンを時折吹き抜ける風で撓むカーテンのひらめきにあわせて、そこが海であるかのような臨場感で揺蕩う波間さながら照らしている。透き通った髪との境がなくなるほど輪郭が眩く融けだした生じろい顔は、影の際であるところなんかは肌の色を一段明るくしたかにみえる赤みがかった鮮やかさをはらんでいて、それはグラデーションが濃くなるにつれ然も血色がよさそうに映えているっていうのに意識を取り戻す気配は微塵もなかった。死人同然とばかり、寝息を立てることもろくにしないせいで胸元に耳をあてがっては鼓動の音だけに集中する。乱れてはいないにせよ、あまりに心細い。点滴の針を差し替える度に生じてしまう斑点さえも数えたり、床擦れにならないよう姿勢ごとかえさせる手間が掛かるぐらい殆ど微動だにもしない癖して皮膚をも湿らせる汗を頻りに拭いたりだの、取り替えた包帯に滲む膿の夥しさであったり。ことごとくが不安でならなかった。今すぐにだって起き上がって欲しい反面で、いつまでも目覚めずにいてくれたらいいのに。矛盾した気持ちを抱えたままで、それでもなんら反応がなくたって呼び掛けることをやめられずにいた。その声が届いていたことを、最近になって知った。
あの人と俺は根本的に物の見方がまるで違う。下から睨み付けるように疑いに掛かるのと、上から俯瞰してすくいあげる、そのぐらいの差がある。だからって意見が衝突するでもない、押し付け合うこともない、主義主張を曲げない程度に折れて、そういう考え方もあるのかと頭に入れておく。そうやっていたらきっと偏らずにいられる。一切合切理解し合う必要なんてない、視座の高さだって合わせるまでもない。わからないことの塊が常にそばにある、幸福だと思う。