君との日々はデッドオアアライブ
眠れないので病み日記書きます。
毎日砂糖を積み上げて上からぶっかけて煮詰めた上に生クリームを重ねる、みたいなでろっでろの会話をしている僕たちですが。
その裏、意外なほどにドライであると僕は認識しています。
その実態をちょっと書いておきます。
僕は、たとえばものすごく楽しく過ごした期間限定のグループを解散させるとき、
めちゃくちゃ好きだったメンバーを強制退会させることに何の躊躇もしないタイブです。
西郷もまたしないでしょう。
僕ら二人は切り捨てることを厭いません。その部分において情とかありません。お互いにそうです。
それはひとえに、自分や自分の大切にしたいものを守るためです。
このまま持ち続けたら腐ってしまうから。全部大事にしようとしたら全部大事にできないから。
大事なものを見失わないために、きちんと大事にするために、引き金を引く意志が必要なことを知っています。
ただ僕と西郷の関係において、銃口を向けられているのは常に僕のほうなのです。
僕はこの通り眠れない夜に病み日記を書くタイプのメンヘラで、毎日西郷と話さないと死んじゃうし、ちょっとでも西郷と離れてる時間があったら「今日何してたの?」とか聞いちゃうヤバめの物件です。
ここでは書けないヤバいやつもいくつか抱えてます。もはや事故物件と呼んでも過言ではないでしょう。
ですが僕は今まで沢山の間違いをしてようやく、そういった部分を客観的かつ冷静に捉えることに成功しました。
それは「あ、僕って生半可な人では処理しきれない容量の人間なんだな」ということです。
僕と付き合うということはその容量分の空き領域が必要ということです。
西郷はその容量を確保して僕と付き合ってくれているんです。
つまり。
西郷に、その容量分の価値がないと思われた瞬間、僕は死ぬんです。
西郷がそりゃ違うよ坂ちゃんと言っても、これは純然たる事実だと思ってます。
こういう意識を僕らは持っているはずです。
切り捨てる人間は切り捨てられることの意味を知っているのです。
それがイヤとか、怖いとかそういう話ではありません。当たり前のことです。
ただ、だからこそ僕は、西郷と出来る限り楽しく幸せな会話を重ねたいのです。
大好きな大好きな西郷に、ありがたくも大きな容量をとってもらっているのです。
その分、いえ、それ以上の幸せを感じて貰わないと困るのですよ、僕は。
# お値段以上、坂ちゃん♪ということで病み日記終わりです。あんまり病んでないですね。
西郷さん、一緒に眠れなくてごめんね。これからギュってして寝るので許してください。