ひとの、人間の命は儚い。 彼が彼でなくなったのなら僕との日々の記憶さえも天に還るだろう。 彼が、君が……世から居なくなっても。 僕の一生からすれば君と過ごす刻はほんの一瞬に過ぎないけれど。 その短い一瞬の輝きのために、すべてを捨てる選択をしたことを悔いなどしないよ。 この手に何も掴めなくなっても、君への想いはこの手に握っていたい。 君が……君に、今までの生き方のすべてを捨てさせてしまったことは……ほんのすこし後悔しているが。 君の生きてきた場所はそう悪いところではなかった。 君の役割、君の務め、君の縁。すべて手放すに値する価値がこの僕にあるかどうか。 ただ、天から見下ろした君の姿は時折とても寂しげに見えてね。 そんな君を放っておくことなど僕にはできなかったのだよ。 天が僕を見放すことになっても良い。そう思った。 そのときから始まっていたかもしれないね……この地への祝福よりも、君へ幸福を授けたいと思ってしまったのだもの。 特別を持たないものが神であるのならば、その時点で僕は失格していたわけだ。 ……君と、通じずとも。 だからそう悲観しなくて良いのだよ。君の所為ではないのだから。 それに、案外僕は君との暮らしを楽しみにしていてね。 今までは忍び逢うばかりだったけれど、これからは暮らしを共にするのだから。名残惜しく熱を離す必要もない。 遠く遠く、どこまでも行こう。 どこまでも逃げよう。誰も僕らを邪魔しない地へ。 天界に舞う桜をもうこの目で見ることは二度と叶わないけれど、君の隣で眺める花は美しいよ。 |
いつものように電話口で喚く影片の声がする。寂しいのだそうだ。 「もし僕が……そちらで進学した僕がいたのなら、 君だってそちらの僕のほうが良いのだろう。 同じ家に暮らして、休みの日は共に出かけたりなどして。」 #「えっ……それは…… #いや!でも!今までの記憶とかはないんやろ〜?」 「今後僕がこちらで活動していくことを考えれば この僕と過ごした数年より余程、 濃密で長い時をその僕と過ごせると思うけれど…… なら、記憶もそのまま。そのまま持った僕なら?」 #「く、クローンってことなん? #でっ、でも、そんなっ、どっちかなんて選べへん……! #両方!両方愛しとるよ……!」 「記憶は本来の僕から抜かれて、 君の傍にずっといられる僕に植え付けられている。 この僕にはもう君と過ごした今までの記憶がない。 それなら、心置きなく僕を捨てられるだろう。」 #「そんなんエゴやん……!勝手に記憶植えられたお師さんも! #記憶抜かれたお師さんもっ!なんでそんな可哀想…… #なんでやの……どうして……。」 「えっ、本気で泣いているのかね…… 喜んでくれると思ったのだけど……。」 これでも僕は君の傍に満足にいられないことを悪く思っているのだよ。 だから、こんなもしも話をした。 ほんとうに全てを移した僕など作れはしないが、 君の寂しさを埋めることのできる存在……それを大事にしたまえ。 いつかそのひとを好きになれるからね。 |
影片から便りが届いた。 「春が来たらピクニックへ行こう」と浮かれた文字で書かれている。 そうだね……こちらでも4月頃には桜が咲くから、その頃にでも。 今のところ、それより早く日本へ帰る予定は立てていないのだけど…… それを正直に伝えたらまた五月蝿くなりそうだ。 ……御伽噺。そうであったら良いなと思うこと。 そう思うことほど、現実では叶わない。 僕らの心臓はバラバラで、共に時を刻むことはない。 ねぇ影片。 今度の手紙へは君の切った髪を入れておいてくれるかね? ……だって、きっとその時には、 僕は君へ鋏を入れたりなどできないもの。 |
君の魂が空へ還るとして、 一枚の印画紙に縋るしかなかった時代と今と、 一体どちらのほうが辛いのだろうかね。 今の世ならば沢山の君が手に入る。 今やアイドルとして輝く君が、世界に溢れている。 そして、まるで生きているときのように動いている君に会える。 スクリーンの向こうに。紙面の向こうに。 ひとつ落とした世界の中で、君が生きている。 僕はいつまでも君を忘れることが叶わないだろう。 ほんとうの君は、 僕が愛した〘影片みか〙は印画紙の中にはいないのにね。 ……君に会いたくなったなら、 その紙を綺麗に裂いて紙吹雪にしよう。 そのほうが余程君らしい。 風にひらひらと遊ばれて光を反射し色々な色を見せる姿のほうが、 予測できない動きで寄ってきて 目まぐるしく表情を変える君に似ている。 |
愛とは傷つき変形しやすいものであるから、 なかなか取り出して見せることもしないのだけど。 今夜だけ君に見せてあげよう。 遠い国からも辿り着けるように、標を落として導いてあげよう。 幾十の詞を拾い集めておいで。 此処へ落とした紙片はすべて君への想いの欠片だ。 その先で僕は待っているから。 早く、僕の城へ招かれて。 ねぇ影片。 君へ触れているとね、僕は自分が血の通わないアンティークではなく、 人間であることを思い出すのだよ。 僕に血潮を巡らせて。愛おしいひと。 |