3/3 16:23の書簡箱より:ナナシの配達屋(折りたたみ)
名前が無いんで勝手に呼び名をつけたが便宜上のもんだと思ってくれ。まずは連絡どうも。送ってくれたところに飛んで確認した。こういう場所で該当の姿をあまり見かけなかった理由に合点しつつ、万一にもあちらさんに迷惑はかけたくないんであの姿で書いている頁は白紙に戻した。あちらさんとこちらでは諸々勝手が違うってことを改めて理解する良い機会にもなったんでな。文化圏が違うと難しいところではあるが、理由があって既に提示されたもんがあるならそれに倣うことになんら異議はない。むしろ知らなかった己を恥じる部分ですらある。今後、こういう場で出すことは控えるぜ。近々、作品の日本語版の書籍も出るからな。楽しみな分、何があるかわからないから気をつけるに越したことはねぇかってのが結論。
しかし、該当の姿を見つけてわざわざ連絡をくれたってことは、配達屋もあの作品を愛しているからだろうと勝手に思っている。丁寧に手紙をくれて助かったぜ。今後の作品展開も楽しみだよな……って余談が入ると長くなるんでこの辺りで締める。以上。
製菓会社の策略に乗るのは癪だと思いながら、その実あいつからのそれを欲しがり、ねだったのは今となっちゃ良い思い出。そういえるほどには昔の記憶の一幕になっている。ただ、その時に俺から渡したものにひどく後悔したことは否めない。口には出さずとも、せめて手紙の方は燃やして欲しいと願ったのは自分の愚かさの一端を消したかったからだ。だから数年越しに、アレがまだ手元に残っていると聞かされた時は動揺した。確かに、使い道には困るかもしれない形状でも、見た目の綺麗さで飾っておくだけでも良いんじゃねえかと選びはしたが。それを気に入って持っていてくれたことを喜ぶべきかどうなのか。あいつに動揺したことがバレるほどには表に出ていたらしい。
本当は手元に残るものを渡す気はなかったんだ。離れた時に思い出したり、嫌な思いをさせるんじゃねえのか、なんて思い上がりもある。ああ、思い上がりだ。だから今でも思い上がっている。それがせめて邪魔になっていなけりゃ良い。
煙草の亡骸ばかりが増える。じりじりと燻る火を眺めながら、原稿を丸めた寛が呆れた顔で溜め息を吐いた。
「吸いすぎだ」
ねぇ、君が本当に言いたいのはそれじゃないだろう。そんな言葉を呑み込んでただ笑って返す。二度目の溜め息は更に大きく、けれど咎める意図のないそれに黙って甘える。
眠れないんだ。それだけ。眠れない。本当にそれだけだよ。
呑み込んだ言葉の数だけ煙草の亡骸が増えていく。今日は空が白む前に夢をみられるといいのだけれど。朝日からの逃げ方も、夜との付き合い方もわからない僕にはきっと無理だろうな。
節分、だったらしい。久しぶりに連絡をとった爺が電話越しに言っていた。いつだったか前の節分は太陽暦の関係で百年に一度とか何とかで、いつもより一日早い日もあったらしい。毎度思うけどよ、恵方巻き食ってその後は製菓会社の策略を全面に押し出すって流れに和洋ごっちゃになりすぎじゃねぇのか。いや、爺のところじゃ二月に限った話でもねぇけど。やたらと食うことに特化している。鬼から逃げるために巻き散らかした豆すらも食うってどんだけ食い意地張ってんだよ。俺らは歳の数だけ豆の用意をするのも大変だし腹一杯だっつの。……まぁこんな心の声を言ったら大豆のプレゼンが始まりそうだから黙って聞いた。足元にいるんだろう、爺の愛犬の声も聞こえる。元気そうで何より。今度ベルリッツたちも連れて遊びに行きてぇな。またもふらせてくれよ。犬用のちゅーる献上すっから。
純真無垢な子どもに憧れていたあの頃、無知を気取れば残酷が先立ってしまうことを微塵も考えていなかった。世界はいつだってやさしいのにやさしくない。けれど、僅かに残っていたやさしさすら殺してしまったのは、他の誰でもない僕だった。何度目かの瞬きの後、コップの中の炭酸水が弾けて氷とぶつかる。閉じたはずのカーテンの隙間から漏れてくる光が目を潰す。
不意に記憶の片隅から蘇るあのひとはきっと、神様のボートに乗っていってしまったのだろう。不完全な僕を残したまま、確かにいたという痕跡を一切残すこともなく。神様のボートに乗って、さみしさを撒きにいってしまった。……それすらも愛しかったのに。僕の手許には残してくれなかった。
ねえ、あの時、どんな気持ちだったんだろうね。もう知る術もない。僕ひとりでは答え合わせも出来ないよ。