仲が修復したと思えないほど不穏だの、そもそもの日記が暗いだの 旧き友人たちが口を挟んでくる上に 影片も遠回しに似たようなことを言う。 どいつもこいつもッ!僕の作品にケチをつけるなッ! 日常をあるがままに綴るとなると 何とも間の抜けたものになってしまうのだよ。 僕は一日の多くを影片と共に過ごしているから、 それは致し方のないことなのかもしれない。 ラプサン・スーチョンの茶葉を頂いたのでね、 この僕手ずから淹れたのだよ。 イギリス王室にも愛される高貴なる紅茶。豊かな薫香。 文句のつけようがない。 イギリスではね、これのペアリングとして スモークサーモンとクリームチーズのサンドイッチ を合わせるのだそうだ。 僕もそれに倣って用意をしたというのに…… 影片ときたら一口飲んだ途端に #「んああ〜!なんやこれ薬の味する!!!」 と騒ぎ出してまるで飲みやしない。 成る程、確かにスモーキーな風味が口の中で結びつくのが楽しい…… なんて穏やかに考える暇もないね。 それで言えば、 影片は子供が好きな飴玉の香料のようなフルーツの香りで、 僕はもっと性質の違う……例えば苦みや酸味を感じるような、 あるいは自然に存在する香りだろう。 ペアリングの観点で見るとちぐはぐだ。 とてもじゃないが合わせようとは思わない。 フルコースの後にお菓子売り場の菓子を出すような。 まぁ……僕は僕らのそんな取り合わせを、 たいそう気に入っているのだけれど。 |
僕はどうやら傷つけられた。らしい。 そもそも僕は仲違いをしたつもりはないのだけれど。 >どこかへ行きそうな顔 >影片に興味がなかった頃の顔 ……昔はそうだったのだろうか。 ずっと、いなくなるなら君のほうだと思っている。 繰り糸が切れた日から。 君がほんとうは自由に動けるのだと知った日から。 影片。僕の影片。 ……僕のだったらいいのに。 呪いの言葉を吐いた。 君はもうただの人形ではないのだから、 ああいう言葉はあまり投げかけないようにしていたのだよ。 ほんとうは。 彼の主体性を奪うようなことを言わないようにと。 ここしばらくできていたのに。 僕もまだ人間性が低い。 僕はね、人間としての意志をもって僕の隣にいて欲しいのだよ。 そうでなくては意味がない。 そうでなくては、そんな君でなければ欲しくない。 僕が〘ひと〙にしなければ〘ひと〙にならないと思っていた。 なんという思い上がりだろうね。 僕が何をしなくとも彼は勝手に人間になっていく。 気のせいでなければプロポーズをされた気がする。 #「おれ、ずーっとずーっとずうっと一緒におりたい。」 ひととひとの間にずっと、なんて存在しないよ。 #「ほんなら、死ぬまで」 #「ほんで、死んでからも」 #「ほんで、生まれ変わっても」 それは結局、ずっとなのでは……。 #「んあ〜?ほんならずうっともあるやんな♪」 影片の理論を聞いていると悩んでいるのが馬鹿らしくなるというか。 |
愛くるしい見た目。 柔らかな手触り。 愛され抱きしめられるために存在するぬいぐるみ。 熊の形を模していても中身は綿だ。 食事を取りはしないのだから鋭い牙は必要ないのだよ。 ねぇ、僕のテディベア。 愛愛しいぬいぐるみがほんとうの獣になることはないのだから 君が僕を嚙むだなんて、そんなことはありえない。 ありえない……と思うのだけど。 佳麗な人形が人間になったのだから……あるいは。 ……杞憂だろうか。 >. 人形を抱いて寝ることは許されなかったから、 一緒に眠るのはぬいぐるみのほうだった。 僕にとっての安らぎの象徴なわけなのだよ。 絶対的な安心を与えてくれる。 それを今思い出した。 >. 僕は君の前で僕を保てるのだろうか。 僕が今まで味わったことのない経験をする。 つまり、僕がどうなってしまうか、僕にもわからない。 君の中の僕の像が壊れてしまったら……? >. 君の愛らしさはどこまでいっても変わらないねぇ……。 >. な……な……!?!? >. ……嘘だろう。 君、ほんとうにもう……しょうがない子。 僕よりも余裕のない君を見るのは、少し楽しい。 >. 僕にも、と泣きじゃくりながら言う姿が愛らしくて、愛しい。 >. 僕の幸せが僕の中に詰まっている。 >……ことはここへ足されていくはずだ。 |
今日は夕食の量を控えめにして、食事の後にココアを淹れた。 彼は味覚が甘党寄りだから、純ココアと砂糖へ温めた牛乳を加えて。 僕がそれをテーブルへ運んだ時の彼の顔といったら。 ショックを受けて、 けれどそれを表情に出さないようになんとか取り繕った顔。 「期待外れだった?」と訊いたときの慌てふためきよう。 そんなことはないと、すごく嬉しいと、そう何度も口にして 早速口をつけようとする影片を制する。 君、早とちりが過ぎるのだよ。 それはこれから出すものに添えた飲み物でしかない。 ヴァレンタインだろう? 僕がショコラフェスのためのものでない、 君のためのチョコレートを用意しているのがそんなに驚くことかね。 期待していなかったわけでもあるまいし。 何を作ろうか考えていたときにね、 君がこんな色だと称されていたのを思い出して。 それで作ったのだけど。 ミルクティのシロップにバタールを浸して、 ピンク色のチョコレートソースを絡めた…自己流のサヴァランだ。 洋酒の風味は君らしくないけれど、あいにく僕はそんなに甘くない。 ホイップクリームと甘酸っぱいいちごにチョコレートの細工を添えて。 どうか君に食べて欲しいと、そう思って作り上げた。 影片。今日は恋人たちの日なのだよ? 僕はチョコレートだけで済ませるつもりはない。 ……なんて、すこし気を急いているだろうか。 僕は愛が下手なほうだけれど、これだけは伝えておくよ。 君だけが僕の愛しい恋人だ、影片。 これから多くの人間を魅了する君に、 一番最初に魅せられたのは僕だからね。 どうかそれを忘れないで。 |
彼女が『今日は針供養の日と言うのよ』と 遥かな昔に教えてくれたのを思い出す。 きっと、その日も教えを請うために彼女の家へ行ったのだろう。 縫い詰めている最中の布を広げるなり言われた聞き慣れない言葉に 首を傾げたような覚えがある。 そして彼女は子供の僕にもわかるよう懇切丁寧に伝えてくれた。 あの頃は純粋さの欠片を失っていなかったものだから 使い続けた道具への感謝も上達への願いも 素直に込められたように思う。 針を刺されたすこし異様な姿にはぎょっとしたのだけど。 〘最期ぐらいは柔らかな感触で心を休めたい。〙 幼い僕はそういうものかと納得したが、 今の僕はその感覚を理解しがたいと思う。 生涯永遠に、たとえ折れようとも、僕は僕の生き方を変えたくはない。 まぁ、そんな話ではないことは理解しているのだよ。 無機物に感情移入するほど愚かでもない。 ああ、結局その日はどうしたのだっけ。 『だからゆっくりお喋りしましょう』 思い出した。 紅茶とクッキーを振る舞ってくれたのだったね。 寒い日だったから、ミルクのおおい紅茶はとてもとても美味しかった。 思い出というものはいつでも甘やかに横たわるものだ。 優しい夜のヒュプノスが 与えた眠り以上の穏やかな夢を見れるよう祈る。 |