いつ帰ってくるのか、日程を教えろ、としつこく連絡がくる。 教えるわけがないだろう……前に日付を伝えたときには君、 夕方着だというのに朝から待機していたそうだね? その為にその日の仕事をすべて蹴ったそうじゃないか。 仕事を断って空港で遊び惚けているなんてね、 『Valkyrie』の信頼にも関わる。 その話を七種某から聞かされたとき、 今後は君に伝えずに帰国しようと心に誓ったのだよ。 いつまでも君の世界の中心を僕にされては困るのだからね。 それなら毎日空港で張り込むでぇ~!ではない。ノンッ!こらっ!影片! |
ああ忌々しい……。 あんな三流に影片を貶められるのは我慢ならないのだよッ! 悪趣味な粗悪品だ。まるでなってない。ああ、頭がおかしくなりそうだ。 荒れた心中を表すように物が散乱した部屋。 それがますます僕の神経を苛立たせる。まったくもって不愉快だ。 そう心を尖らせていると 立てた物音で部屋の異常に気づいたらしい影片が顔を出した。 #「お、お師さぁん…そんなに怒ったらあかんよ〜?」 「僕は怒っていない。不当に貶められる僕を嘆いているだけなのだよ。 この憤懣を奴へぶつけられたらどれだけ良いか。君だって不快なはずだ。 どうしてそう平気な顔を……いや、そう見えて平気ではないのだろうね。」 #「んあぁ〜…まぁちょこっとモヤ…ってしたんやけど、 #お師さんが暴れかねへんぐらい怒っとるから…いやもう暴れてはるなぁ…。 #おれのことでそんなに怒らんでえぇよぉ…。」 「僕のことだ。」 #「えっ…おれのことちゃうの…?!」 「僕の人形に泥をつけるということは、 この僕の顔に泥を塗りつけるも等しいのだよッ!」 #「やっぱりおれのこと考えて怒っとるんやんなぁ…えぇんよ。」 違う。僕は瞋恚を君のせいになどしない。 が、やけに気の抜けた嬉しそうな顔を彼がするものだから 僕は結局怒りを鎮めるほかにないのだろう。 治まるはずがなかった。怨嗟の声はきっと貴様に絡みついてその喉笛を噛み千切るだろう。怨讐の大渦に飲み込まれてしまえ。塵ひとつ残ることもこの僕が許さない。 |
恋は果たして分別くさい狂気でありうるのか。 先人はそう言った。 僕に言わせてみれば、あれほど判断力を奪うものはない。 ……なればこそ、判断を誤ることは当然だ。 そう、僕らは恋をしているのだから。 誤ったのなら正せば良い。 僕らにはその機会が与えられているのだよ。 より良い関係となるための機会が。 損ずることを前提に僕らはそれをやめることができない。 それが生きる糧だ。僕らの。 成る程、苦汁で甘露とはよく言ったものだね。 ときに苦汁として僕の舌を痺れさせ、息の根をとめにかかるが ときに僕を至福に誘う……何よりも芳醇な香りを持つ甘露だ。 恋というものは。 |
鳥の羽根よりも軽い。 ……とまでは言わないが、彼の身体はそれなりに軽い。 少し前までは生身の重みをほとんど欠く、 人形そのものの頼りない身体をしていた。 小鳥の骨に純絹を張り、月の灯りで温めた海を流し込む。 そうして創り出された彼の心臓に耳を重ねれば、 いとおしい満ち引き。波の音がする。 まぁ今は多少筋肉もついてきて、随分人間然としているのだけれどね。 生きている人間だからこそ、涙の海が満ちる。 海の雫が硝子の瞳から零れ落ち、 宝石へと姿を変えることは僕だけが知っている秘密だ。 虹彩の色を反射してそれぞれの色に煌めく宝石は この世の何よりも美しく、それを眺めていられるのなら どんな非道も成してしまうような……そんな魔力があるのだよ。 ただの人間である僕がそれに抗えるはずもないだろう? |
昨日、自宅へ帰るといつにも増して思いつめたような顔をした影片が ソファの上で電気もつけずに蹲っていた。 今度はいったい何が始まったのだろうね…… いくら空の頭を悩ませようが意味がないのだから、 さっさと白状したまえよ。 部屋の明かりをつけて隣へ座ると肩へと頭が預けられた。 少し温度が高い。考えすぎで知恵熱でも出しているのではないかね。 #「重いかなぁ、おれ、」 #「おれ、お師さんしかおらんのん。」 #「重たい?こんなこといわれるんいや?」 #「おれ、何をするのもお師さんとやないといやや。」 #「ずーっとがまんしてたけど……。」 #「お師さんがえぇよ……。」 ぽつり。水面に水滴の粒が落ちるように。 落ちてしまった水滴が波紋を広げていくように次々と。 水風船だ。と思った。 溜め込み続けた水で一杯一杯に膨らんで、割れてしまったのだね。 弾け飛んだ水風船の、その飛沫が水紋を広げていく光景が想起される。 そうまでして抑え込んだ君のこの感情を、 僕は重いとは思えないのだけれど。 #「……重くないん?」 「君を抱っこすることのほうが余程重い。」 #「んあ……お師さん、秤がぶっ壊れてるんよ。」 #「お師さんが重いって感じられる重さは地獄みたいな重さや。」 「そうだね…… ……刃物を出されたらさすがに重たさを感じて嫌になるかもしれない。」 #「地獄やん……。」 そうは言っても、 実際に重たいと感じられないのだから仕方がないだろうに。 ……ひょっとすると、僕のこの感覚だけが鈍いのは…… 君のような存在を受け止める為かもしれないよ。 神さまが僕らを『そう』創った。 最初から僕らは『ひとつ』としてデザインされたのかもしれないね。 |