近頃、電話口での影片の元気のなさといったら見て取れるほどだ。 実際見えるわけではなく、 その声の調子や話し方からの推測でしかないのだが。 変に仕事を詰められているのではないだろうね。 慣れない場所はそれだけでもあの子のストレスになるのだし。 七種某に聞いておくべきかね……最近の、影片の様子を。 #「んあ……ちょっと疲れすぎちゃったんかな。」 「君ねぇ……何を他人事のように……。」 #「ストレス感じとんのやねぇ。」 「……けれど知っているかね、一週間後に何があるか。」 #「お師さん!!」 帰国の日取りを教えるつもりは毛頭なかったというのに…… 火が消えたような声を出すものだから、つい。 あぁ、影片。午前中から空港で待つ必要はないからね。 そもそも出迎えは要らない。 目と鼻の先で出迎えも何もないだろう。 #「荷物!おれが持つ!」 「自分で持てる。」 #「時差ぁ~?で、ぽやぽやしとるお師さんほっとけんし!!」 「ぼんやりなどしていないよ。」 #「はよう会いたい!!!」 「……そう。」 #「ちょっと元気でてきた!」 「僕にこれだけ言わせて少しだと?」 #「んあぁ……。」 |
#「お師さんのいちばん近くで #お師さんのこと見てきたおれの言葉に嘘はあらへんで。」 あまりにも突然、 いつになく真剣な目を向けられたものだから酷く驚いた。 「君は僕のことを何も知らないくせに。」 意地を張った結果、出た言葉だったと思う。 どうも影片が僕へ対して抱く幻想が大きく膨らみ、 それを包む皮がはち切れてしまいそうだったから。 ……ちょっとした注意のつもりだった。 幻想を幻想のまま壊さずにいられればどんなに良いことか。 幻想と現実の乖離を突きつけるなんて残酷なこと、 ほんとうはしたくないのだよ。 それはまるでサンタクロースを信じる子どもへ正体を教えるに近い。 #「お師さんやっておれんこと知らんやんっ! #おれがお師さんのことどう見てどう思ってるか知らんやんっ! #あんたが思ってる以上におれはあんたのことよー見とるわっ。」 影片にしては力強い言葉の剣が舞い、僕へ斬りかかってくる。 ……それを不快に思わないのは、さて僕が耄碌した証拠かね。 僕を見ている一対の美しい瞳が、この先も逸らさずにあって欲しいと そう願ってしまう。 ……たとえ、知られたくない部分を露呈することとなっても。 #「ふーんだ、お師さんよくおれに自分のこと言い当てられて #ぐぬぬーてなっとるくせにぃ。」 「ノンッ!それはなっていないよ!」 |
師として君へ。 生きる理由を他者に委ねてはいけない。 創り出す為に生きている。僕の場合は。 ただ楽しく、言われた通りに踊っていられれば良いのなら、 永遠など望まなくとも手に入る。時間を止めれば良いのだからね。 僕が、僕らが得たいものは形ばかりの永遠ではない筈だ。 後世の人々の心の糧になること。違うかね? 僕は語るだろう、煌めきのある日々を。 僕は語るだろう、愛に震えたその心を。 僕が『世界』を創り出そう。 あぁ、ここが『世界』だ。 何者にも脅かされない。僕の、僕らの。 僕は『誰』が『何を想おうとも』構わない。 『忘れられ』てもまったく問題はないのだよ。 良いかね。これを良く胸に留めておきたまえ。 『世界』は僕らの為だけに創り出されるものだということを。 |
入浴後に寝香水をつけている。 が、どうもそれが失敗だったような気が……近頃しなくもないね。 強制的に上昇させられる体温が香りを眠らせたままにしてはくれない。 ……彼は、夜目が効かないのだ。 だから灯りを失った寝室では気配や香りを頼りにすることが多く、 そう……目印を付けた獲物だ。僕はただの。 寧ろ皿に乗せられた料理にも近いのだよ。 ベッドという純白の食器に盛り付けられている。 熱が黒いヴェールをはらって青い葉と花の香りを露わにすると、 彼はもうすぐに僕を見つける。 獲物を捕らえる牙は眼前まで迫り来ているというのに逃げられるかね? ……抗えやしないのは誰だってわかるだろう。 捕食された記憶が、食い込む牙の記憶が、香りに蓄積されていく。 夜を迎えるたびに呼び起こされる記憶だ。 五感と結びついてしまった記憶は生々しい感覚までもを呼び覚まし、 僕の心を揺さぶるから。 僕はもうまっさらな気持ちでこの香りを身に纏うことはできない。 |
#「あか~ん!もうっ今日めっちゃ疲れたぁ! #あんなぁいやなこといっぱいいっぱいあったんよぉ! #もういやや!お師さぁん!抱っこして!」 「しないよ。」 #「抱っこぉ!見えてへんの?抱っこ!ぴょんこぴょんこ!」 「跳ねる元気があるのなら抱き上げなくとも大丈夫だろう。」 #「あかん…立てへん…ぐったり…もうだめや…チラッ。」 「いきなり床に寝るな。落ち着きがない。行動に一貫性を持ちたまえ。」 #「一貫性ある!おれは!抱っこ!してほしいんや!!」 「僕は恋人と暮らしているのであって、 幼児と暮らした覚えはないのだけど?」 床に沈む身体を抱き起こすと、とりわけ体温の低い陶器の肌が触れる。 窓から入ってくる生温い空気と同化していた僕の体温にはそれが心地好く、 これならば接触を持つのも悪くはないと思えたが 僕へと触れた途端に熱を帯びて人間に戻る表皮が生々しくて手を離した。 何処へ秘めていたのかその潜熱を。 |