使い込んだ艶のある衣装櫃。 引き出しの中の箱庭に眠る小さな僕がいる。 #「〘「君がバラに費やした沢山の時間が、 #君のバラを特別なものにしたんだ。」 #バラのワガママに愛想を尽かして #小惑星を去った王子が地球で学んだ真実の言葉。 #これはあなただけのバラ。〙」 「……?『星の王子様』だね?」 #「そうなん?」 「君……驚くぐらい教養がないね。 そのフレーズで想起される物語などひとつだろうに。」 #「読んだことあらへんの! #読んだことあるんは…… #『エルマーのぼうけん』と『からすのパンやさん』!」 「そう……。引き出しの中身を増やしたらどうだね。 底抜けの引き出しでは程度が知れているかもしれないが。 理想の衣装を仕立てるとき、 生地の種類が少なければそれだけ表現の幅が狭まるよ。 君は引き出しの中に好きなものしか詰めないが、 この服にはこれ……と、 嫌いな……扱いづらい材質の生地を使うこともある。」 #「んああ〜〜?」 「自分で考えなさい。どうも説教臭くなって良くないね。 それで、突然何。」 #「お師さんいっつもえぇ匂いしとるから #香りに気を使ってるんやろなと思って。 #それで、好きそうなんを見てたんよ。」 「あぁ、香水の〘ストーリー〙かね。先程のは。僕に似合うと?」 #「ううん、おれっぽいなと思って。」 「誰が我儘なバラだ。……原書を読んでみたらどうだね。 フランス語、分かるようになるかもしれないよ。」 #「それはえぇねん。 #おれはお師さんが好きそうなもん見るので忙しい。」 「チッ。そういうところだよ、君は。」 ✶ 玲瓏たる姫君。或いは自由で勇敢で高貴なる守護者へ。 今更ながら愛溢るる便りへ返そう。まず最初に。あの子が世話になっているね。 君との交友を語る表情は僕ひとりでは見られないもので、 君が良き友人として傍にいてくれていることが良く分かる。 迷惑どころか感謝しているよ。僕も、あの子も。 これから世話も迷惑もかけるだろうが、変わらず傍に居てくれたらと思う。 ……多少はまぁ、君のアドバイスに耳を傾けて飴を与えてやっても良い。 さて。僕の怒りは僕のものだ。抱くも消すも誰の指図も受けないのだよ。 だから君が気に病む必要はないことだ。 ただ、愛する子の友へ降って湧いた不条理に怒り嘆いただけなのだから。 あの子のことも気にしなくて良い。 怒りを宿した瞳は目も眩むような燦たる美しさを持つのだよ! あぁっ、普段は見られない非公開の聖堂内部を特別に拝観できた気分だ。 何とも素晴らしいね……♪ ……こほん。兎も角。僕らは曇りもしていないよ。 だから君は笑っていると良い。 僕らが願うことは君の慶福だ。 しかし、しかしねッ!あれは頂けないね! 思わず僕はアパートのソファから転げ落ちたのだよ! 『匿名なのに反応したらバレちゃうわよ?』 ノンッ!だめっ!今のなかったことにするッ! |
一つ前の休日、遠く外れた村のほうへ遊びに行った。 まぁ……あまり僕の感性にはそぐわないのだけれど。 こちらでできた知人が あまりにも強く自分の家へ来るように誘うものだから仕方なく。 がやがやと騒がしい中で頭を悩ませているよりは、 木々の騒めきに身を任せているほうが多少精神に良いものだね。 畦道をぽくぽくと歩いていくとやけに同じ植物が目についた。 日本では見かけない、荊棘のような棘のおおい植物。 それはここでは何も珍しいものではなく、 寧ろこの実を摘むことが秋の風物詩なのだそうだ。 黒く熟したその実……ミュールは コンフィチュールにすると絶品らしい。 成る程、影片が好みそうだね。 実がふっくらとして張りがあるものを選べ、 とやかましい指図を受けながら何とか手に入れて来た。 「恋人に?」だなんて馬鹿らしい。 もっと可愛らしい何かに対しての土産だよ。 そうしてコンフィチュールを拵えてきたというのに…… 何だねその体たらくは。 影片。紅茶の時間にしよう。 悩みの袋小路に蹲っていても良きものは何も生まれない。 戻ることも必要だよ。 |
或いは僕はその時ラズベリーレッドの液体に飛び込めるだろうか。 見てくれは華やかな赤。香りは芳醇。味わいは極上。ただし毒がある。 解っていること痴れたこと。 君はひとを疑うことを未だ覚えてはいないから、 きっと躊躇いなく飲み干す。 それならば僕は御伽噺の通り飛び込むだろうね。 問題は、僕が物語のように都合の良く蘇ることができるのか、 というところだけれど。 僕がいなければ君は崩れる。 君がいなければ永遠の国は崩れる。 世界はそんなつまらない結末に満ちているということを 子どもたちに思い出させたくはないね。 ねぇ、影片。 良く理解していない顔をしているね、君も。 何ということはない。御伽噺だ。 結末は君好みの砂糖とクリームがたっぷりのハッピーエンドだよ。 悪意が君へ向けられようとしたのなら僕が守ろう。この身を呈して。 ✶ 美術館を愛するレムール。 君の秘めたる感情が誰へ向けられるのか、見守っているよ。 その道先に光が、救いがあれば良いと思う。 ただし、監視は頂けない。 そんなことなどせずに鑑賞したまえ。 王国より願いを込めて。 |
滞在期間を長く取るだけ「撮影へ出たくない」と 影片がぐずり出すのが目に見えている。 その対策として、 昨日向こうへ戻ると伝えた上で寮で過ごしているのだけれど。 ここでこうして言ってしまうと見つかってしまうね? まぁ、それは良いとして。 彼、きちんと日焼け止めを塗って行っただろうか。 夏前から口を酸っぱくして言っていることではあるけれど。 どうも手元はおざなりになるところがあるし。 指に日焼けの痕など残っては格好が付かないのだよ。 ……何故、右手を選んだのかと聞かれれば。 左手は『そのとき』まで取っておいてほしいから、だ。 人生で初めて通されるものが僕との誓いであってほしい。 ……この僕が夢物語を口に出す男ではないことを 君は良く知っているだろう。 君の人生にも纏わることなのだから、 必要なものは自分で集めておくのだよ。わかったね。 |
昨日の夕方、此方へ戻ってきた。 何に驚いたと言えば……既に影片が空港で待っていたことだ。 到着時刻は伝えていなかった筈なのだがね。 この暑さだ、 君に会う前に寮へ立ち寄ってシャワーを浴びておきたかったのだけど。 そのまま連れて行かれて彼の部屋にいる。 そう、それが今現在の話。 すっかり眠りこけている彼の顔を眺めるのは悪い時間ではない。 愛しいひとが触れられる距離にいる。 それがこの世で一番幸せなことだと僕は思う。 そんなことを考えているなんて微塵も思っていないだろうね、君は。 呑気に口を開けて寝こけているもの。 部屋の様相が変わっていたことについて色々と言いたいこともあるが、 ……それはまた今度にしておこう。 何と言っても今日は特別な日だからね。 彼の指に約束を取り付ける日だ。 気づけば誕生日まで半年を余裕で切ってしまっていたから。 準備に奔走しなければ。 |